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2006年12月 9日 (土)

教会との出会い

先日の高円寺教会から南国へ帰宅する途中、

東京駅からいちごは寝台夜行に乗り込んだ。

その時点では、いちご以外その車両には誰も

乗客がいなくて先日のフェリーと同じかと

思っていたが…途中、止まる駅よりはるか

南国へ向けて旅する人が次々におり、

気がつくと二段ベッドの寝台は一段目がどこも

一杯であった。あちこちで話声がする。

と同時に夜中になって、なぜか睡眠剤を

飲まなかったせいもあってか意識だけが

はっきりしていて体だけが横たわっている!

家族連れの幼子がいた。乗り込んだ瞬間

今夜この子に何かあると感じた。

案の定、この女の子は夜中になって

ずっとずっと泣き叫び訴えていた。

そして、咳き込んでもいた。私は実子が

いるが幸い喘息は持っていなかったが

気管支炎で何度か入院した経験がある。

予感が当たった。苦しいよー!辛いよー!

ママ!!パパ!!助けてよー!!

私にはそんな風に聞こえた。でも肝心の

親は、いつもの事らしく熟睡していた

抱きしめてあげてよ!!そう心の中で

思い祈りをこの娘の為に捧げた

神様、今私にできる事は祈りだけです!

どうかこの娘が南国までこれ以上

苦しむ事なく生きつけますように!!

その他、射祈も都度行った!!

もうこれ以上は、無理って感じた時

救いの道、車掌さんが来て大丈夫ですか?

と声をかけた。もし、どうしても辛いよう

でしたら途中下車して救急車の手配を

しますとも伝えていたし、車内放送で

呼吸器を持っている方がいたら、

この娘のために誰か貸してくださいとも

流れた。が、この電車には誰も備えて

いる人はいなかったのである!

この備えは、本当は誰がするべきで

あったか??この娘がなぜ喘息を

持ってこの世に肉として生まれ出で

たかよく考えてもらいたいと思う

瞬間であった。結局、午前11時半

までこの娘の叫びに祈りを捧げる

時間が過ぎていった。でも幸い、

私の祈りが天の父に通じたのか

この娘は朝方から抱きしめられて

すやすや?まではいかないが

安心していた様子であった!

途中、トイレに行く時心配で

この娘を見ようとしたが、娘より

母親の顔が目に飛び込んだ!

今風の茶髪に黒の皮ジャン姿

いちごも髪は茶系なので人の

事は言えない(昔、美容師をして

いたので、歳を重ねる度に

自分の髪にはいろいろと気を

配っている結果が今の色である)

でも子育てをしている時は自分の

なりふり構わず子供だけが生きがい

であったし、この我子を母が守る

そんな思いで日々を過ごしてきた。

自分の育った環境がどうであれ、

この子が我子に違いないのだから

出来れば自分より我子を優先して

子育てをして欲しいと切に願う

いちごでした。

今週の福音にもあったように

”人の子の前に立つことができるように、

いつも目を覚まして祈りなさい”

とは、身をもって経験したいちごであった。

そうこの幼子には何の罪も汚れもない

のである。純粋であるから泣いて叫んで

助けてと声をあげていたのである

南国に着いたら、逃げるようにこの母は

抱きしめてあげてよ!の思いは届かず

ベビーカーに乗せられて、表情は疲れ

きっていた、なんでこんな時パパがいる

んだから娘を抱きしめてあげてよ!

ベビーカーなんてパパが持てばよい

そう思った。到着と同時に去っていった。

でもこの親子によって命の尊さを教え

られたような感じがする。これから

お子様を授かる皆様、この世には

誘惑が山ほどあります。でも母となり

未来を背負う我子を産む立場で

あるならば、お酒もタバコも止めて

ご自分の体を健康に保って我子を

授かり産み育てて欲しい!そう心から

思うし、願うし祈ります!

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