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2006年12月25日 (月)

イヴ夜半のミサ

いちごは、主日のミサに参加した後、夜半のミサに初めて参列した。そう昨年は、マリア・ステファノと喧嘩をしていて参加しなかった自分、なんて愚かなんだろうって今想うし、こんなすばらしいミサを自分の中で受け止める事が出来なかったのが本当に悔しい。

お母さんと一緒に参加したが、昨年は着ていく服がないと言ってだだをこねていたそうだ!!自分の事なのに全く覚えていない。たしか、マリア・ステファノがスーツを着ていて私は本当に何もおしゃれするものがなかったのだと思い出す。

今年は・・・やはり変わっていない。教会へ到着する頃ふと気がついた。そうイエス様のお誕生なのにいちごは、相変わらず普段着できてしまった。でもきっときっとイエス様は「そんないちごでもいいよ」って言って導いてくれているそう信じております。案の定みんなおしゃれをしていた。わあーどうしよう・・・中には、着物さえお召しになっている方もいる。でも、いい。私は、私である心さえ美しかったなら、そしてイエスさまのご誕生を心から喜んでいればそれでいい。そう悟って参加して一番前の席についた。

主の降誕(夜半のミサ) ルカ2.11より

”今日ダビデの町で、あなたがたのために 救いがお生まれになった。”

”遠く地の果てまで全てのものが 神の救いをみた”

今夜、私たちは2000年前と同じように主のご降誕をお祝いします。キリストの誕生、現実的である。ルカ=イエスの誕生が素晴らしくたくみに書かれている。イエスの誕生を歴史的に示している。全世界の人々の戸籍登録に勅令と関係づけ、時期についてもイエスの誕生の場所についても示す事としており、疑うことがない。

明確な歴史的現実であったことを示している。天使のお告げ(メッセージ今日救い主が現れ、全人類史上の喜びである。新しい時代へのメッセージでもある。天使の言葉は全ての民の喜び、訪れである。誰もこの喜びにあずかることを好まれるはずである。

喜び=共通である=人の女(マリア様)から生まれたイエズス=不思議な幼子なのである。暗闇を歩く民は大きな光を見た。一人の子があけられ、しるしがある。

イザヤは、その名は力ある民、永遠の地、平和の意味と言っている。名前は、飼い葉桶に寝かされた父の御子にある。全ての人々に救いをもたらし、神の恵みが現れた。救い主、イエス・キリスト 肉としての命が生まれたのである。死に対する恐怖をなくす永遠の約束の喜びをもたらす。キリスト=マリアの子=主である。地上に生きている全ての永遠からの存在である。歴史の唯一の出来事である。これ以上偉大なことはないのである

神=人間として生まれた幼子エス・キリストが人間として私達の間に来られた。永遠の神が人となられた神なのである。神=いのち=一緒に住んでいる、もはや孤独ではない。私達を慰め新しい生き方を教えるのである。人類の運命は、一緒に住んでいて導かれ方向づけるのである。私達の罪を赦すだけでなく、心に住むためにイエスの誕生があるのである。私達を愛し、支え、導いておられる。神に心を向けて感謝したいものです。

御言葉は人となり、われわれのうちに宿る。その栄光を見た教会はイエスの御心を思いおこさせる。人間の手を持って働き、考え、行動し処女マリアから生まれわれわれの一人となる。罪を除いて一人であり、われわれと同じなのである。私達の希望を、恐れ、試練、全てを知っているのである。クリスマスに於いて特に、イエス様が近くにいてくださる。絶えず私達を愛し、見守り、信仰の恵みによって感じることができる。小さくなっているイエスが私達のために私達と共におられるのです。

生まれたてのイエスは、宿がなく追い出されたのである。ベツレヘムの馬小屋で生まれたイエスの誕生こそ、全ての人類の救いの神である。あなたの人生、生き方、全てに関係のあることです。ミサ中の聖体拝慮は、神から人生をひっくり返すほど信仰の恵みを持って愛してくださっているのです

味わったこと、見聞きしたこと、一人でも多くの人に伝えてあげてください神の子キリスト全ての人類の人に平和と救いの道を!!主の誕生として証人として今夜、今ここに集まってきたのである神の愛、恵みと祝福を皆に伝え、羊かいのように残りの肉としての人生を歩んでいきなさい。

クリスマス=マス=ミサの意味である。イエス様の生まれた時間が気になって、聞いてみた。そう、イエス様に・・・答えは、クリスマスミサ中に幼子が泣き叫んだ瞬間である。いちごはすかさず時計をみた。午後19時40分である。この時がそう御子イエス・キリストの誕生の瞬間であった。

クリスマスミサ中、いちごはなぜかイエス様の十字架を幼子を抱いているかのように持っていた。そう、そして我子への思いをはせる時が聖歌を歌っている最中に流れた。ハンカチ、バックから出さないと・・・でも一番前の席でこのままでいい。イエス様に全て委ねているから、時間が経つに連れて涙が全て乾いていた。これってイエス様のなさる業だと想うし、ミサ後のパーティでも誰もこぼして雑巾って騒ぐ事はない。これは、先日の大分教会でも感じていたこと。いちごの経験から言って運動会等の行事で子供達がいる場面では必ず雑巾を持っていないと必ず誰かがこぼすことは知っている。

それが全くないというのはまさに神が働いているとしか思えない

でもこんなにすばらしい優しい愛をいつも送り見守ってくれているイエス様に本当に感謝であるし、

お誕生おめでとうございます。”

”これからもずっとずっとイエス様についていきます。”

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