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2006年12月24日 (日)

いちごの御心

いちごは、日々イエス様からのお恵みとして書ききれない位の奇跡をいただいております。心から賛美と感謝を捧げます私の愛するイエス様・・・昨日は、約4時間ほどの黙想のロザリオをした。どこにいくのかな?マリア・ステファノのおばあちゃんの所へクリスマスプレゼントを届けなくちゃ・・・そんな事を想いながら、荷物を持ち黙想しながらロザリオを唱え歩く!!

主の祈り・・・マリア様の祈り・・・詠唱、更に・・・。足の導かれるままに歩く。体は全てイエス様の意向のままに今を生かされている。向かった先は、先日もお祈りに行った大分キリシタン殉教公園だった。やはり、そうかな・・・と思いつつ、入り口でご挨拶・・・ベルナデッタ様の映画でみた挨拶をいつの間にか身につけている自分。うーん、私の知識で考えても悩んでもわからない。

いつもの記念碑の前でひざまずいて、しばし沈黙する。ここではるか昔の出来事が浮かんでくる。信仰一筋に命を落としてもイエス様の愛を信じておられた方々。私には、できるかな?現実に・・・でも昨夜、祈った。

イエス様、もう私はこの世の命、肉体もいりません。マリア・ステファノの病気さえ治れば私の命、あなたに全てお捧げします。とそう祈っていた。明日朝、目が覚めなくても魂は永遠のものだからもう充分です。そう想って語っていた。でも、今朝目が覚めた。あー私はまだ生きている。神様は、まだ私の体をお召しにならないのだ。

<大分キリシタン殉教公園の由来>

国主大友宗麟が保護したため、キリスト教が目覚しく繁栄したところ、禁断の嵐が吹きすさんで被害が大きく県下至るところに尊い殉教の血が流された。ここ葛木附近、寛文年間1661~1673年に84歳~14歳の少女までおよそ200人のいたましい殉教者を出した。信仰一筋に生き抜いてついに殉教者として、天に召された。この世的には葬儀も墓もなく史実や名前さえも定かでないものが少なくない。この”獄門原”の地に公園を作り記念碑を建てた。

そうである。皆様の御心を想う時、本当に心が苦しくなります。大分教会でさえもあそこには、幽霊が出るなどと噂がある様子。でも、そんなカトリックを本当に勉強しているのであれば幽霊なるものは、存在しないってわかっているはずじゃないのかな・・・??いちごは、マリア・ステファノから多くの教育を受けているので、幽霊、霊媒なるものはこの世には存在しないってわかっているし、この公園に私が何度も呼ばれているのは祈りを捧げて欲しいと願っているからである。今年夏、この地で追悼記念ミサが行われた時もいちごは、なぜか徒歩で参加している。でも、全く疲れを知らないときであった事を思いだした。そう、昨日も何キロ徒歩したのかさえわからない。もうほとほと疲れが出てきてあたりも暗くなってきた時、歩くのを止めた。そして、天の父に祈りをした

神様、本当に御心ならばおばあちゃんの所へ導いてください。そして、間もなく歩き出した。うんうん。確か、このあたりだった・・・そうそう。あったー。やっと辿りついたのである。何ヶ月ぶりであったおばあちゃんは、体力がかなり消耗していて利き手の右手がしびれて動かなくかってさえいた。ちょうど、夕飯時だったので介護をしてもらっていつも食事をとっていると聞いて私が出来る事、おばあちゃんに食事を食べさせる事をした。人に食べさせるのって難しい。そう我子を育てていた時、その後、実母が入院して手術をして、食べさせて以来であった。でも何とか食事は終わった。よかった!!おばあちゃんから、いちごの好きないちごをクリスマスにっていただいた。わあー、この前からずっと食べたかったけれどまだいちごは高いので買えないのを神様はちゃんとわかってくれていたのである。おばあちゃんとは、話が尽きないのであるが夜も深まってくると心配だから帰宅したほうがいいって促されて・・・じゃあ、今度は我子を連れてきますって約束をして歩き出した。帰り道は暗い、寒いけれどもいちごの心は温かである。だから黙想しながらロザリオして徒歩に進む。帰りは、一番近道を案内してくれた。まさに神に感謝であった。いちごは、方向音痴であるゆえに神様にお願いして連れていっていただいた。

† 私の愛するイエス様、これからもずっとずっと着いていきます †

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