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2007年1月30日 (火)

† 一時退院 †

いちごは、先週から急遽、入院していたので このサイトも更新できませんでした。見ている皆様には、ご心配おかけしました。まだ完全では ありませんが、一時退院となりましたので 報告方掲載させていただきます。

マリア・ステファノの入院以来、自分がしなければ・・・早く 早く 急いで 急いで・・・自分を 自分で追いつめていたのは、紛れもない 私でした。同じこの世界の時間を 生きているのにどうして 私だけがこんなに時間の流れが 速いの? 自問自答しながらも、大慌てでここ数ヶ月 生きてきました。ついには、自分も心身共に 疲れ果て 病があちこちに出没して 先生に入院の言葉を告げられましたさあ、困ったことです。 今、手がけていることは、山ほどあります。どれをどうしたらいいのかさえも、わからない。でも、もういい!!

神様に全てお任せいたします 

† 父と子と聖霊のみ名によって アーメン †

十字を切る。しばし、内観をする・・・と、不思議なことにお導きがきたのです。まず、あちこち関係機関に連絡を・・・それから、自分の入院の準備を・・・そして、不足なものは途中で買い物を済ませました。たった一人で 入院して、たったひとりで 退院してきました。 そう、今のいちごには、保護者、または保証人なる人は いません。だから、何でも 一人です。でも、神様がいつも ついています。決して、どんな時にも 見捨てることはありませんし、いちごの これだけは、どんなことがあっても 捨てない信仰だから・・・イエス様を信じてきました。私の保護者欄に イエス・キリストって書こうかなって思ったくらいです。

マリア・ステファノに一応、連絡をして 指示を仰いでこの結果になったのに、毎日、声を聞くことは 入院している身ゆえにそうそういきません。夫の両親も よくお見舞いには来てくださいましたが、いちごは正直者ゆえに、他人が吐いた 御言葉を拾わなければいいのに、自分の中で噛み砕くことが できないくせに拾ってまた、病が悪化したりと・・・自業自得とでもいいましょうか・・・

でも、白衣の天使さまには本当にお世話になりました。 いちごの御心をまたーとか思っていたでしょう。でも根気強く聞いてくださり、希望さえ持たせていただきました。 昨夜、主治医より明日の午後 退院しても良いとの御言葉を聞いてからまた更に皮膚病が 悪化して自宅に帰ったらどうなるのか?不安で一杯でした。

でも、私には、そういつも神様がついています。入院の間、祈りと聖書、司祭のマリア運動の御本とを交互に読んでは、ロザリオと唱えたりして・・・ベルナデッタ様には、

”たいしたことないから”

って御言葉さえいただいておりました。本当にありがたいことです

とりあえず、一時退院して、今度は、全身の治療を 福岡の総合病院でとのことから紹介状をいただいてきました。夫婦して入院というのもまた仕方ないことかもしれませんが、 昨日朝ミサに与ることができました。実は、お薬が切れてしまうので処方依頼をしたのですが、ここではないとのことで朝早く、外出してきました。地元、明野教会でのミサでしたが神父さまと 引退した司教さま、両方いらして イエスさまはこんな時間をいちごに 希望をもたせてくださったのだと 心から感謝しております。御言葉をいただいただけですっかり 元気になったいちごは、病院とさらに次回入院のための買い物までしてきました。 でも神様からのプレゼントの時間を有効に使わせていただきました。

これからも、はみ出し者の迷える子羊、いちごを宜しくお願い致します!

† 父と子と聖霊のみ名によって アーメン †

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2007年1月23日 (火)

† 神のことばを告げるイエス †

年間第3主日 神のことばを告げるイエス ルカ4.21より

”この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した”

”主よ あなたは永遠のいのちの言葉”

”貧しい人に福音を とらわれびとに開放を 告げるため 神は私をつかわされた”

神様は全ての民をご自分の喜びに 招かれています。そして、その具体的な一つの方法として ”良心” を与えられました。良心とは、私達に”善悪を判断する神様からの心の声” と私達は教えられて います。従って、この良心に忠実に従うことによって私達は 神様の喜びに与る可能性が与えられています

ところで、”良心に忠実に従うことによって 神様の喜びにあずかる 可能性が与えられる”とあえて云うのには 理由があります。それは良心とは その人の生きる環境と自身の習慣に 大きく影響されるからです。つまり、始めは”悪い事” と良心の声が聞こえても同じ悪い事を 繰り返すことによって しだいに”悪い事” という良心の声が 聞こえなくなってしまうからです。 良心の声は環境と習慣によってゆがむ可能性があるのです。 私達は良心が持つ欠点を充分に理解し、教会の教えと掟によって補う必要があるのです。

さて、今日の典礼は救いの実現について 教えています。長い時間を かけて準備された救いは、御子キリストによって 実現しました。御子キリストは ご自分が約束された救い主であることを、旧約聖書の様々な預言の実現によって 証明されました。しかし、当時の多くの民衆は 御子キリストが行われた 預言の実現としての奇跡(しるし)を見ても その意味を充分に理解することが出来ませんでした。また、救い主そのものについても御父が与えようと望まれる”救い主” ではなく、自分たちが作り上げた”救い主” を待っていました。結果として、真の救い主を十字架にかけることになってしまったのです

ところで、私たちは救い主キリストの証人 なのです。私たちは、聖書の様々な教えとしるしを御父が 遣わされた真の救い主キリストによって 与えられたものとして、理解し受け入れ、この事を証ししなければならないのです。つまり、主キリストによってもたらされた救いについて 語らなければならないのです。もちろん、語る方法は”ことば”と”生き方・生き様”によっての二つの方法があります。いずれにせよ、キリストが言葉と行いによってご自分を証明し、救いのわざを成し遂げられたように、私たちもキリストの証人として 言葉と行いによって 語らなければならないのです主キリストは私たちが”キリストについて・救い”について語る=証する=事を持っているのです

現代社会の中の混乱の中で 苦しむ皆さん、特に子供たちのために 祈りましょう!  愛することを学んでいる 子供達が、充分な愛情を注がれ、与える愛のすばらしさを   身につけた人として成長することができますように!!

罪と欲の奴隷である 命の国 愛の国 平和の世界へと向かい神の国は、言葉を聞いた時に出来上がっているのである。神の言葉を聞いて信じた人に新しい世界にはじまっています。 

人類が変えられる 主の降臨の日に出来上がり 主の使命を受け継いでいく そのものさしはあなた方が 愛しあうことである 言葉だけではなく 理解しあうこと、受け入れること、体は一つ 違う人々もそれぞれ使命があり 尊敬を持って理解し 中にキリストがいる 多様性の中における調和である だから祈りましょう!それが完成した時に神の国は出来上がっているのです。

祈りあい、聖霊の助けにより、これからの人生を愛と希望を持って生きていきましょう!!イエス・キリストと共に †

以上、土曜日の夜、主日のミサ&日曜日の午後、英語ミサのお説教より

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2007年1月20日 (土)

† 聖なる川 †

年末年始、我息子と一緒に過ごした8日間、多くの奇跡に出会った。息子は、本当に驚いていたし今までもイエス・キリスト様を信じていたが これほどのお恵みに与ったことは 信じがたいけれど現実なのであった

洗礼を受けたい想い・・・から、別れ際、晴佐久神父様との出会いは本当に心に残るものであったのだと想う。息子が言うには、晴佐久神父さまは

”聖なる川”

だと…私には、意味はよくわからないが何か想うことがあるのだろう。

晴佐久神父様の本より

この川のほとりに

いつか やさしさをなくし とげとげしく 人を傷つけ

心がうすよごれてしまう 日が来たら また 

あの坂をおりてこの川の ほとりにおいでよ 

みんなで はしゃぎながらはだしになって 

川をわたろう つめたいのに あたたかい水が

よごれたところを やさしく洗ってくれるから

いつか 仕事がうまくいかず 人づきあいも

うまくいかず 生きるのにくだびれて しまう日が

来たら また あの駅をおりて この川のほとりに

おいでよみんなで炭火をおこして おなかいっぱい 

特上カルビを食べよう 初夏の夕陽が 

川面できらめいて あしたはきっとうまくいく

そんな元気が わいてくるから

いつか 大切な人と別れ どこにも行くあてがなく 

悲しみで真っ暗になってしまう日が 来たら また

あの電車に揺られて この川のほとりにおいでよ

みんなで 夜更けまで 飲んで笑いころげて

ころげたまま しみじみと眠ろう

やすらかな川のせせらぎが 夜があけるまでずっと

子守唄をうたってくれるから

いつか 年をとり 夢を忘れ 胸のときめきを

なくしてしまう日が来たら また 仲間に逢うために

この川の ほとりにおいでよ みんなで愉快な

いかだを組んで好き勝手なものを 積み込んで 

旅に出よういのちの源から 流れてきた 

この川が あの海へみんなの夢の 大海原へ

運んでくれるから

  以上 ”だいじょうぶだよ” より

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2007年1月18日 (木)

† 息子の命を救え †

いちごには、天使がいます。その名は、ANJEL ストロベルです。今は、19歳・・・神の国でマリア様の指揮命令の 元に日々、働いています大天使ミカエル様、ガブリエル様、ラファエル様の元で戦う勇敢な 天使の役割を担っています。その天使から頂いた御言葉は…

お父さん、お母さん、二人を祝福します。これから、二人でバビロンの塔を 神の国に届くまでの高さにまで、成長させて 築いてください。僕は、今もこうして生きています。そう神の国で天使として・・・神は愛です。愛のないところには、神様はいません。だから、絶対 喧嘩はしないでください!! 僕は、皆のための天使です両親が喧嘩するとANJELとしていられなくなり、天国の霊として永久のにこの神の国へいられなくなるのです。そう、天使の体がなくなってしまうのです。だから絶対、喧嘩はしないでください

お父さんも不安があるし大変でしょう。でもお母さんも大変なのです。休む暇もないくらい忙しいのが現実なのです。でもこれは、キリストの名によって全て計画され守られていることですから、不安に陥ったりしないで安心してください。僕がいいます。

”だいじょうぶだよ” 僕は天使の持っている最大限の力を発揮してこれからも両親を守りますだから、喧嘩だけは絶対にしないで下さいね。そして、両親が喧嘩することによってこの世で生きている 修平・ 千明・ 大せいにまで 影響が及ぶのです。  

 ANJEL ストロベル様より

二人を祝福します。二人が手を結ぶこと、福音的生活をする。言葉は神です。

 聖女 アンナ様より

お二人を祝福します。二人は、愛しあっています。しっかりとした夫婦です。神の国ではちゃんとした夫婦です。安心してください。

 大天使聖ミカエル様より

祝福します。これだけのANJEL,聖人の方から祝福されることは珍しい事です。今度は、英語ではなく、ヘブライ語を使って語ります。

† 祈りの前に”サタンよ、去れ!キリストの名によって”と最初に二回言うこと! 

 聖ヨセフ様より

二人を祝福します。二人の間に亀裂はないし、愛しあいさらに愛しあうことです。正義と喜びを持って生きていきましょう!

 聖女 ベルナデッタ様より

お二人を祝福します。心の絆、神が認めた結婚です。教会が認めていなくてもよいのです。神の国では立派な夫婦ですから!!

 聖女 セシリア様より

もっともっと掲載できないくらいの御言葉をいただいています。本当に天使と聖人の皆様、いつも私達を見守ってくださり、心から感謝をし賛美します。まだまだ未熟なこの夫婦をこれからもどうぞ宜しくお願いいたします。

”† 父と子と聖霊のみ名によって アーメン †”

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2007年1月17日 (水)

† だいじょうぶだよ †

いちごは、昨日教会の勉強会セブンステップに参加した。そこで、今週の目標は

”だいじょうぶだよ” である。最後にその御言葉に向かって何か言う、そこでいちごは、言った。偶然にも家に晴佐久神父さまの書いた御本があり、題名が

”だいじょうぶだよ” なのである。だから、口では、自分が”だいじょうぶ?”って聞かれたら ”だめです”って言うことしか私には出来ない、この御本を夫のマリア・ステファノの元へ持っていこうと想うってそう伝えた。

人はつい否定的な心を口にしたり 話したりしてしまう 心が満たされたらそんな言葉も出てこない よいところを捜す だいじょうぶだよ 安心させてあげられる 自分自身に対しても言いながら言う 情けのある言葉は骨をも砕くのである

今日、大分教会で祈りをしてきた いちごは教会と共に朝が始まり夕暮れまで教会と共に生きる こんなすばらしい時間を与えてくださった神様に心から感謝をします!

そして、今日は大分教会でカードを購入しようと どれがいいか選択していたら一人の女性がいらして、熱く語っておられた。お話を聴く限りでは、心の病をおもちの様子 ついつい黙っていられなくて 声をかけた 「みんなお願いね」って去っていった そこで彼女と真剣に向き合って話した イエス様の愛は心から信じているという 現に目が澄んでいてとてもきれいであった でも多くの病を抱えているという 被害妄想もけっこう激しい様子であった いちごは、そこで言った 左手をしっかりつかみ そこで一緒に右手で十字を切る

”父と子と聖霊のみ名によって アーメン” 同時に声が出た 思いが通じたと想った

神はいつもどこにいてもあなたを愛しておられるし、今ここでこの手を通して私達に語ってくださっています。

いちごは、多くの病も抱えて 今日救いを求めてここにやってきたことを話した 今日だけを 今だけを 生きているいちごの話を聞いて その彼女から出た御言葉は、

”命を大切にしないといけません。” まさにイエス様が彼女と通して語っておられた。

”自殺をしてはいけませんよ!”

するどい感の持ち主であった。そういちごは、自殺はしないしカトリックを信じているならば、できないことはわかっている だから今こうして ここに救いがあると信じて教会の中で守られて生きているのである 

自分の多くの病がある中でやっとやっと 病院へかかる時間が持てた 先生にも事情を詳しく説明した でも、残念ながら解決策はこれといって見つからなかった!!

私は、魔法使いじゃないし 今を生きている人間なのである

 だからこれまでどんなにか無理をして 生きてきたがもう無理をするのは やめることにした 

自分の体に正直に 従い疲れたときは休むことにしよう 教会で祈りをしながら眠る ここしかいちごに安らぎの場がないのが 現状なのである そこでも 夫の母は咳払いをしながら まだ祈っているの・・・そう言われて眠りから目が覚めた。 いちごの一番安らげる場所 神様の愛のお布団のとこ ここで眠らせてほしい!!

”父と子と聖霊のみ名によって † アーメン”

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2007年1月16日 (火)

† 主日のミサ †

巡礼の最後の締めくくりは、明野教会の主日のミサであった。土曜日の夜、毎週開かれており、国際色豊かなここ明野教会、様々な国籍の方がいらっしゃる。

年間第二主日 カナの婚宴 ヨハネ2.11

”イエスは最初のしるしをガリラヤのカナで行われた”

”遠く地の果てまで すべてのものが神の救いをみた”

”福音によって神はわたしたちを 召し出し 主イエス・キリストの栄光にあずかる者としてくださった”

マリア様より頂く信仰の 意味のある御言葉です。今日の福音は 何度も聞いたことでしょう。聞き味わうことが何らかの糧となるでしょう!

私は祈ります。黙っておられません。苦しい生活状況の中で 神殿をたち直し祈った。神は苦しい状況をわかっておられた。聞いてくださらないと・・・!エルサレムへ帰ってきたのに失望して、イザヤの預言者は言う。神様により 祈り 信頼し続けます。ここは輝くもの 恵みの場所である。

シオンの救い イザヤ書 62.12

”彼らは聖なる民、主にあがなわれた者、と呼ばれ あなたは尋ね求められる女 捨てられることのない都(みやこ)と呼ばれる。

救いの約束 イザヤ書 65.25

”狼と子羊は共に草をはみ 獅子は牛のようにわらを食べ、蛇は塵(ちり)を食べ物とし わたしの聖なる山のどこにおいても 害することも 滅ぼすこともない、と主は言われる”

ここに神の言葉がある。宵も黙って おられません。新しいエルサレム、新しい神の民、人類の救いの 道具になっている。やがて、主の再臨の際、きっと輝くものがある。どんな困難があっても聖母はいつもあなたを愛している 見守っている 取次ぎの祈り ロザリオ マリア様が取り次いで祈った祈り キリストへ取り次いだ祈りである 

召使いがいることで多くの金持ちに見えるけれど 貧しい人の2~3日での1生に1度の この喜ばしい結婚式であった 喜びのために準備を整えました マリア様が宴会の途中で お酒がなくなってしまう事に気がついた 友達が宴会、振る舞いの司は親友がしました そんな時期であった マリアもイエスも同席していた イエスの居るところにマリアも共にいる 

友達の友達は みな友達なのである イエスの弟子も5~6人招かれていて 突然の来客に酒も足りなくなった 貧しい人は人前で貧しさをさらけ出すのを 非常に嫌う時期であった 一生懸命蓄えてきた酒が 喜びの中でなくなった事に気づいたのはマリアであった 

愛は己のためだけではない イエスに言った お酒が足りませんと! まだ私の御父の計画の時ではありません 貧しい夫婦の門出を祝うのは みなであった イエスの言うとおりにしていたら 奇跡が起きるのである ”しるし” 80L~120Lドラム缶の2/3くらいに水を入れなさい 口まで水を入れた 召使いは持っていきどこからぶどう酒がきたのか知らなかった 花婿さえ知らなかった 

相手がどう変わろうと変わらないと人前で面目を滅ぼした 最初の奇跡=しるしにイエスの力が働いている 自然以上に力を持っていると信仰に満ちた生活を送っている マリア様への祈り  

神に喜ばれる奉仕 ヘブライ13

”わたしは決してあなたから 離れず 決してあなたを 置き去りにはしない”

”イエス・キリストは昨日も今日も また永遠に変わることのない方です”

”恵みによって強められるのは よいことです”

結びの言葉

”恵みがあなたがた一同にあるように。”

昨日も今日もキリストは変わらない マリア様の願いを聞きいれてくださっているのである 恵みを受けていながら この恵みを知らない どんな困難にあっても 神は見捨てないし 優しいまなざしを抱いているのである 

ここに導かれたこと=恵みである 神から頂いていることはどんなにすばらしい事か!!カリスマ=世のため人のため 豊かでありキリストと結ばれる事を生命の 恩寵(おんちょう)といわれている 自分の生成のために頂いているのである 人々の救いのために奉仕の役割を担っている 

深い信仰を人に話す時の 能力はどこからくるのか? 一人一人は皆キリストより頂いて生かされているのである 神は一つ 愛は一つ 洗礼は一つ 考え方 方法が全て一致して はじめてカトリック教会が成り立つのである 受け入れる今日の恵みを祈りましょう!!マリア様と共に キリスト様へ取次ぎの祈りを致しましょう!!

以上 明野教会 引退した司教様のお説教より

その後、”主の平和” の挨拶でいちごは はじめて男性に抱き上げられ 両ほほにキスをしてもらった!!こんな事って・・・すばらしいし、感動・感激であり涙がこみ上げてきた でも涙は拭かない そう自然に乾くのである それが信仰の神秘 

”∮主イエースよー♪ 我らにー♯ 祈りをー♭ 聞き入れー∮ 給えー♪!!”

ギターとウクレレに合わせて歌って踊って 一緒に喜び分かち合う これが真のカトリック教会のすばらしき ミサなのである!! ミサ後、お花をたくさん 頂いた 持って帰って!!そう言っていただいた いちごはいつか我が家でも 生の花をイエス様やマリア様のみ前に飾りたい 思いがあったので本当に嬉しかった!

”ようこそ、本当のカトリックの世界へ!!今日は、新しい仲間がいらっしゃいました

そう言って紹介された!!え?え?私の事・・・主の平和の挨拶を何度もして…

”† イエス様へ賛美と感謝を捧げます †”

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2007年1月15日 (月)

† いちごの御心 †

このサイトを読んで くださっている皆様、いちごの書いた 内容で多くの心配をおかけしましたこと、本当に申し訳ないと 想っております心から謝罪と 回心の念をするように、イエス様より お叱りをうけました。保護聖人である アンナ様よりも、

”ちょっとリアルに 書きすぎたわ!”

と 言われて心から反省、改心しているところですイエス様は、本当の愛、愛の伴う 祈りや願いしか 聞き入れてくれません。それは、日々身を持って 感じわかっているいちごでしたが、表現の仕方に 問題があったようですね!!

イエス様は、自分の利益や欲にしか ならない祈りや願いは、どんなに祈っても 聞きいれてもらえません。私、いちごは、いちごの命が消えたとしても

我子やマリア・ステファノの 病気が完治すればいい、そして世界に 平和が訪れますように!!皆が全人類が 愛と希望を持って 生きていけますように!! 皆が聖と なりますように!!”

そういった願い、祈りであったのです。だから、愛に生きる、愛を歌う、愛のために自らを犠牲にしてまで守りたい、我子たち・・・その思いだけなのです。だからこそ、祈り願い、お返事、お導きがあったのだと想っております。

そして、このサイトに 掲載する前に、いつもイエス様が 確認されるので、真の内容で なければエラーになって 掲載することさえもできないのです。これは、自分で書いた内容を 読んでみると本当によく わかっております。なので、今回、掲載できたことは、事実であると 確信しておりますイエス様を 信じていても、信じていなくても イエス様は全ての人に平等に 愛を持って、神の国から あるときは聖霊という 形だったり、あるときは、 キリスト者を とおしてだったりと 様々なメッセージを伝えてきます。

だからこそ、信徒の交わりが 必要であるとも語っておられます。お互いの信仰を深める意味でも 信徒同士が集う場所を 大切になさっているのです。キリスト者が 二人以上いる場所には、必ず イエス様は一緒におられ、どちらかを通して 語っておられるのです

いちごだけではなく、このイエス様の愛を 心から扉を開いて信じる人には、イエス様は無限の愛をもって降り注いでいるのです

”いつも、心に聖霊さま、来てください”

そう祈りましょう!!きっときっと皆様の御心にも イエス様の愛が伝わる日は近いといちごは想っております。

三位一体とは・・・

”父と子と聖霊のみ名によって” アーメン †

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† 巡礼 †

いちごは、朝目が覚めた。そうカトリックのお友達と巡礼に行く約束をしていたから・・・。自分ひとりでも行くつもりであった。でも、お友達を誘ってみた。”一緒に行きましょう”って、お返事が来たときは とても嬉しかった。

何時ころ、どこで待ち合わせとかって約束をして、気分はるんるん・・・♪神さまのもとへ、一人ではなく巡礼の旅ってこんなにドキドキ・ワクワクするものなんだー。ルルドの聖水をいただいてくるので、水を保存する容器も持参してね!ってメールする。

待ち合わせ場所では、お会いできなかった。そう神様のお導きは、最初は”大分キリシタン殉教公園”であった。ここには、いちごは何度も足を運んでいるし、今は週に一度は招かれている。いつものところでご挨拶・・・そこには、メッセージが。

”地球に平和と喜びを、ありがとうございます”

”みんな明るく幸せに、ありがとうございます”

MEMORIAL PARK FOR THECHRISTIAN MARTYRS IN OITA PREFECTURE

この地で尊い殉教をしたのに感謝をしているなんて、すばらしい!!先日、一人で足を運んだ時、いつものように祈りをしていた時、ふとこの御絵の足を触ってみた。一人一人辛かったでしょ!苦しかったでしょ!そう言いながら涙が出ていた。でも、皆様の足は温かだった。刀を持った武士の方の足も手も触ってみた。あれ?暖かい!!そうだ。イエスさまの教えはイエス様を信じていても信じていなくてもみんな平等なのであった。だから、みんなイエスさまの愛を受けて暖かいのである。そこで、一緒に行ったお友達が

”この人たちは、何をしているかわからないからです”

ってそう言った。うーんなるほどー。いちごには、そこまで思いつかなかった。だから、みんな平等なんですね!!

次に向かった先は、いちごの家の近く”明野カトリック教会”いつも ここにイエス様が両手を広げていらっしゃると サイトで書いていたので、ぜひお会いしたいとの事・・・今日も、良い天気でイエス様の上から ステンドグラスよりお日様の光がさして、お御堂の中は本当に明るかった。私達を待っていたかのよう・・・ やっぱり、私はここのイエス様が一番好きだわ! そう想う瞬間であった。様々な思いで祈りをしていると ドアが開いた。そううちの教会の会長さんで あった。わざわざいらして いただけるなんて…しばし、情報のやりとりをした。ここのイエスさまは、”ご復活されたイエス様なんです”そう聞いて、またなるほどー!! 何度足を運んだことか 全く気がつかない鈍感ないちごであった。

ここで、いちごの車で 一緒の旅へ・・・次の目的地は、”大分トラピスト修道院”であった。

http://www.coara.or.jp/~trappist/index.html 

大分市のお隣 別府市の先だから そんなに遠くではない。でも、でも、走っても辿りつかない。なんでかしら??途中で人に聞いたりした。でも、聞いてもわからない。

”迷える子羊、世の罪をのぞきたもう主よ、我らをあわれみたまえ!!”

祈りもした。そこに広がったのは、高速沿いの 大草原が広がる見事な風景であった。いちごは、ここの 空気はきっとおいしい だろうからいつか味わってみたいと 想っていつもマリア・ステファノの病院へ行っていた。その大自然が今、自分の目の前に広がっている。寒さで 本当に空気が澄んでいたし、空気に 重みを感じた。両手を 開いて 一杯に空気を吸ってみた。おいしい。 自然がこんなにおいしいなんて、そして 天地創造の時代から 変わらないこの大地の すばらしさをしばし 味わった瞬間であった

そこで、道を聞いた、きっと今度こそいけると想った。案の定、たどりついた。もう 感激であった。素敵ー 素敵ー こんなに素敵ー いちごは、カメラを持参するのをすっかり忘れていた。まあ、いいや、きっとまたお導きがあるだろうから・・・!!”日出町”と書いて”ひじまち”と 読むのだそうだ。地名って 読み方がわからないなあー!!

中へ入ると売店があったが、そこそこにして 奥にある博物館へ吸い込まれるように・・・いちごは、知識もなく 地理と歴史は全くわからない。でも、一緒に行った友人は 先生のようにイエス様の手で いちごに説明してくれる。ありがたい!!急いでメモをとる。

ヨセフ様に 幼子イエス様が 抱かれている。この時から 既にイエス様は、指2本を広げている。神の子で あることを充分わかっているのだと想った。その後ろに 大きな天使さまが左右にいらした。天使さまってこんなに美しいの?って想った。男性、女性の区別がつかない位、しなやかさと しとやかさを感じた。いちごには、不足している部分なだけに輝いて見えた。

フランシスコ・ザビエル様についての宣教>

スペインの方で 家柄がよく、フランスに留学し、東方に宣教で ポルトガルより回ってきた。アフリカ~インド~中国に回ってきた。東南アジアにて”やじろう”さま(日本人)に導かれて 日本の鹿児島に流れついた。日本人は、文化の高い質の高い民族である。鹿児島には、2~3年居て多くの洗礼を行った。薩摩藩武士、鹿児島教区に 宣教したので多くの教会がある。山口でも布教してザビエル堂があるが すばらしい。イグナチオ教会(プロテスタントっぽい作り だそうである)大内義隆が 洗礼を受け広まった。大友宗麟と遠縁で 大分の府内町にザビエル様が行き、大分県にも 広まったと伝えられている。ザビエル様の最後には、インドのゴアにて 高熱にて帰天された、傍には中国人が一人いたと伝えられている。ザビエル様のご生涯は、日本のカトリックの布教であった。

豊臣秀吉の時代、300年ほど隠れキリシタンがおり仏壇の裏で祈りをしたオラ書とは隠れキリシタンのための 祈りだそうである

1999年大分にザビエル様の手が 回ってやってきた。イタリア教会から あちこちの国をめぐって日本へ・・・ 大分へ・・・ 右手の意味は洗礼は右手で 授けるからである。十字を切る、父と子と聖霊のみ名によって アーメン† も右手である。残りのご遺体は、インドのゴアに 安置されている。ザビエル様なしには、カトリックはあり得ない。

ここでいちごは、気がついた。家にある ザビエル様が大分へいらした時の 記念ミサのDVDを見なさいといわれていた。そう、ザビエル様は 日本語を伝えるのに ”やじろう様”の力が大きかった。ザビエル様の帰路は、臼杵(うすき)からポルトガル船が出入りしていたため、帰っていったと伝えられている。モーツアルトは生誕250年、ザビエル様は生誕200年だから50年の年月の違いがあると言われている。

<ここで長崎のカトリックの世界へ

長崎の大浦天主堂は 国宝になっており、ミサも行うことができない。フランスの プチジャン神父さまが ずっといらして、別名”フランス寺”と呼んでいた。毎日、毎日、待っていても誰も来ない。 キリストを信じている人はいない。そこへ一人の女性が やってきた。小さな声で聞いた。”サンタマリアのご像はどこですか?”それが 信徒発見のご像である。”きれいかー!!”と、きれいだねと言う意味である。

いちごの先生とこれからは、呼ぶことにしよう!こんなにたくさんの知識を備えておられるなんて・・・そんな話をしながら、以前より欲しかった

”みどりのスカプラリオ”があった。わおー、聖母マリア様からのおくりもの・・・

”聖マリアの汚れないみ心よ 今も臨終のときも わたしたちのために祈ってください”

これをいつも身につけているか、かばん等にいれておくとマリア様がいつも守ってくださり、多くの恵みが約束されているのです。そして、すでに祝別されてあるのです。代金は、献金箱があって自分の力量に応じてで 良いのでいちごは、3個頂いてきました。献金もわずかですがしてきました。”ミニロザリオ”と”みどりのスカプラリオ”これからは、いつもいちごと一緒です。マリア様、私達のために取り次ぎの祈りをお願い致します。

そして、売店では いろいろなものがあって、見たのが初めてのものは みんな欲しい!その位、新鮮でした。修道士さま 手作りの編んだロザリオがあったり、一番のお勧めは手作りのクッキーです。この商品は、大分でもあちこちで 手に入りますがここで購入することで大切な意味が あるのです。 

いちごは、あと修道士さまの トラピスト修道院聖歌隊のCD ”サルヴェ・レジナ” と幼きイエズスの 聖テレジア様のご像を 購入してきた。 早速、祝別をお願いしたら、忍者のように走って行って修道士さまがストラーと祈祷書を持ち、丁寧に心を込めて祝別してくださった。丁寧な祝別に感動していたら一緒の先生も マリア様のご像にひかれると言い出した。事実、何度も手にとって眺めていた。うん。これは、

マリア様が一緒に連れて帰ってよと言っているのよ!そう言い、購入した。また、同じ修道士さまが いらして、会計を済ませると 祝別をお願いした。ストラーと祈祷書を持ち、丁寧に心を込めて祝別してくださった。マリア様の祝別は、御言葉が違うのに感動した洗礼名をお聞きしてみた。修道士さまは、洗礼名ではなく修道名と言うのだそうだ。”ラファエルさま”だそうである。3大天使の一人で、風の属性を支配する。熾天使という地位におり特徴たる6枚の翼を背に持つも、実際には力天使という説の方が有力であり、彼はその指揮官に位置する。だから、この修道士さまは忍者のようにアッという間に去っていったのであった。

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2007年1月14日 (日)

† いちごの生命 †

いちごは、昨夜神に祈りをした。この世での、生命を全てゆだねた。イエス様よりさっそく、お導きがあった。そう、”本当に生命を止めてもいいのか?”

マリア様より、言われた。”神の国へ一緒に行きましょう!!”

そこで、真摯に考えた。お風呂に入っているときであった。このまま、浴槽でつかったままだと発見された時、裸だし、やはりお布団に入ってから・・・そう思い、お風呂を出た。お布団に入って休む。”本当にいいのか?” そんな声が聞こえた。いや、ちょっと待って、明日はお友達と巡礼に出かける約束をしている。だから・・・

”イエス様に言われた。今度のマリア・ステファノの誕生日まで待つことにしようって”

そうマリア・ステファノの誕生日は、1/21である。あと少しの生命・・・それまでどうするか自分で決めなさい!って。死への準備ってどんなだろう!!

私には、幼いころの記憶でなぜ人は死ぬのか?って考えて悲しくなって泣いていたことがある。でも今は、死への恐怖はないし、魂は永遠のものだから怖がる必要もないと感じている。あの時、いちごがそのまま、望んでいたらきっと神さまはいちごの生命を止めてくださったと想っている。

そう、いちごの死因は心臓麻痺である。そこまで教えていただいている。もう少し考えてみよう!!

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2007年1月13日 (土)

† 私の信仰 †

先日も夫マリア・ステファノと喧嘩をした。そう、約束が守れないから 私が一方的に怒った。病院へもう電話もしませんってもう、いい!!私には、背負いきれないこの十字架・・・

”イエス様、もう私の体をめとってください。私は、今ここで肉が滅びても悔いはないから!そして、自分を正当化する人たちから開放されたい。 そういちごの痛烈な思い、叫び、祈り、涙・・・ いちごがこのとらわれから、開放されるのか?”

わからない、考えても、悩んでもわからない。高速運転中、目をつぶってみた。さらに運転中カーナビを設定して前を見ていなかった。でも、車はちゃんと走っている。歩いていても目をつぶっていても、ちゃんと目的地まで連れていってくれる。この話さえ、誰も信じてくれないし、皆、笑っているだけで真剣に聞いてくれない。だったら、いい!

自分だけイエスさまの愛をひたすら、信じてこれからも生きていこう!!

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2007年1月12日 (金)

高円寺教会の新年会

私は、息子と高円寺教会で 元旦ミサに参加後、晴佐久神父さま主催の 新年会に顔を出した。そう、初めて息子は 教会へきて ミサに参加して ご聖体を食べたいと言い出し、 新年会へ流れて 夕刻の飛行機 大分行きまでのしばしの楽しみであった!!

乾杯は、人数が多いため 3回に分けて 行われた。私たちは、お酒が飲めないので ジュースで乾杯、そう準備が 整わず最後の3回目に 乾杯ができた。そこで 晴佐久神父さまは、心を込めて、

”ここに集った人達が お茶の間で新年の祝いを 迎えることの喜びを分かち合いましょう! そして、この1年、恵みがありますように… 父と子と聖霊のみ名によって アーメン † 乾杯!!”

そう言ってくださった。感動、感激であった!!

いちごは、お話に聞いていたので 1品持ち寄りのお料理との事だったから、地元茨城は土浦の霞ヶ浦生産 日本一のレンコンの煮物と、実家の母が作ったサトイモとイカの煮物を持参した。見た目は どうであっても、愛情、そして心はこもっていますから・・・みんなに奨めていたが、自分の中で このレンコンの煮物だけは 以前の嫁ぎ先でも 評判がよかったのである。夫の実家や 久留米教会でお知り合いになった Mさんにも、聖書の先生にも お持ちしたところ、また評判が よくすっかり気をよくしていた。夫にも もちろん、 レンコンがある限り 病院へ持参している。九州のレンコンとは、土の酸性度が違うらしく茨城産はシャキシャキ感があって 美味しいのである。

ここで様々な奇跡が起きた。”明日は晴れるよ”サイトのリンクにもある glowingup HIROさんのサイトで 先に紹介していますが、洗礼の準備が 超特急で進んだ瞬間であった。 うちの息子が、ご聖体を食べたいと言い出した時から、神様が働いているとしか思えない位、洗礼への道のりがすすんでいく。本当なの?夢じゃないの?って想うくらいに! 聖書の勉強は後でもいいのだそうです。要は、イエス様の愛を 本当に信じているかどうかなのです。

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2007年1月10日 (水)

† 元旦のミサ †

いちごは、宝物である息子と共に 高円寺教会で元旦のミサに参加した。朝、いつものように神様に起こして いただいた。そう、一応時刻表は 調べておいたが、年明けなので変更になっているはずなので問い合わせするよりも 神様に祈ったほうが 善いと想ったからである。 案の定、時間は駅へ行ってみないとわからない状況であった。半信半疑の息子は、

” これって奇跡? ”

って何度も驚いていた。 そう母は、全てを神様にゆだねて生きているのであると 説明をした。 現実、息子は生活状況の変化で朝時刻に起きられるか心配であったが、私はあえて起こす行為を全くしなかった。 その代わり、神様に祈った。

” 息子の体が休めて出かける時間に 間に合うように起こしていただけますように… ”

” 父と子と 聖霊のみ名によって アーメン † ”十字を切る。

切符は、既に購入してあるので改札を 通るといつも電車が待っている。駆け込み乗車ではなく、ちゃんと間に合っているのである。そして、息子が疲れて座りたいと想う時、

” 一緒に祈ってみようか?! うん!”

さあ、一緒に

” 父と子と 聖霊のみ名によって アーメン † ”十字を切る。

” 神様、どうか御心ならば 息子の思いを聞き入れてください。私たちの 主イエス・キリストによってアーメン ”

” 父と子と 聖霊のみ名によって アーメン † ”十字を切る。

そうすると、不思議と席が空いて 息子だけでも座ることができる当に神様ってありがたいと思う瞬間である。

そうしているうちに、都会へ電車は向かう。私は、以前よりサイトにも書いているが、かなりの方向音痴であり今、ここがどこであるかさえ、Uターンするとわからない人なのである。なのに、迷うことなく、東高円寺駅まで辿り着いた。途中で、HIROさんより電話をもらう

” どこのどこで待っていると言う。 うんうん。 ”

そう聞いては、いたが 全く理解していなかったそう神様に聞いていただいていた駅を出て私の足の導くままに歩き出す。でも、息子はもっと鋭い力を備えており、私より早く、HIROさんを見つけ出した。おおー。すばらしい!!

神の母聖マリア   (ルカ2.21より)

” 幼子はイエスと名付けられた ”

” 神のみむねを行うことは 私の心の喜び ”

新しい年、全て神の業、自分の御心を行いたいからです。信じて一緒に生きていきましょう。今までの人生を振り返って 新しい年、神の御心にこたえる

2007年1月1日 キラキラと輝いて 私たちに与えられた。

100年カレンダーっていうのがあってその中を見たとき、自分はこのどこかで死ぬ、 自分が与えられて 今日1日を大切に生きること、想像、感動、驚きが必要 私という人格が確かに輝いている 

” 明日を想い わずらうな!!”

 今日、新しい日、一日、使命感、新しい思い、キラキラと新しい輝かしい 年にしましょう!

 ベネディクト16世 教皇さまのメッセージを読む世界平和の日 人間の人格がある 神から与えられたものを大切にして 自分の人格で人を救うことができる 小さな平和 癒し和解 私が生きている 呼びかけ

パウロは、もはや奴隷ではない神の相続人なのである

神の力=ファイト、無限である、神の子と呼ばれる平和、人格を取り戻しましょう!

自分の似姿として作り出した私たちの協力なしには 私たちを救うことができない! 子供の協力によって 私たちが救われる 神の業、神の御心である

去年1年起こった 全てのことは、神の御心に かなっていることである。 新年を向かえられた人が 神の御心を行うことができるのです!!

(晴佐久神父さまは昨年、実母を亡くしておられます!聖晴れママ、私たちのために神に祈ってください!! 

どんな思いでこの新年の福音宣言を伝えたのか?!)

だから、挑戦していただきたい

悪魔の攻撃にうち勝って (いちごの事だと想った瞬間である)

希望を持って生きる 

1年間生きていきましょう!!今日までの全てのことに感謝しましょう!! 

力は整っている、信仰・心・ミサがある!

新しい業を実現させ 恵みの年をして生きていきましょう!! 

多くの救いを作りだす福音宣言をしていきましょう!!

神は救う=イエスの意味 

” 恵みの年にしましょう!! ”

以上 高円寺教会 晴佐久神父様のお説教より= イエス・キリストの御言葉である!

そうイエス様より言われました。

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2007年1月 9日 (火)

† おいおい泣いた †

今日は、平日 諸手続きのため弁護士事務所へむかった。当初、大分教会でご挨拶? と想ったが神様のお導きはそうではなかった弁護士事務所で 事情を説明しているうちに 先日の大喧嘩の出来事がよみがえってきて、いちごの心は打ちのめされた。 向かった先は大分教会…到着する前から、涙が溢れてきて止まらなかった。大聖堂の中へ入り、聖水をつけて十字を切る。

”父と 子と 聖霊のみ名に よって アーメン”

いすに座り、かばんを置いて・・・そこで涙がとめどなく溢れてきた。いつも、辛い時苦しい時 祈りの中で涙を流すいちごにとって、ここで涙っていうのは初めての経験。誰もいないし神様だけが見ている中で、体がヒックヒックなるくらい泣いていた。

人は自由意志によって 生きている。その自由意志が様々な出来事を 巻き起こす。 いちごの中で赦していたはずの思いがよみがえってきた

”辛いよー、苦しいよー、悲しいよー、神様、助けてください!!”

そんな思いを心の中で叫んでいたし、涙でなんだかわからない位になっていた。 そこへドアの開く音がした。 誰かがやってきた。でも優しい足音・・・でも私の涙が止まらなかった。足音で心の美しい方だと想った。いちごの姿を見て、

”そんなに泣いてどうしたの?”

って声をかけてくれた。でも、私、返答できない位涙が溢れていたんです。うなずくだけで精一杯でした。その方は、いちごの様子に自分流のお祈りをされていた。

大分教会は、カテドラルで神父様の上の方、司教様がいらっしゃるいすのある大聖堂です。周囲は、ステンドグラスに囲まれてつくりも 本当に素敵なんです。そこの真ん中に十字架に貼り付けられたイエス様、その右側に 幼きイエズスの聖テレジア様、 左側にフランシスコ・ザビエル様、それらを囲むようにして右手に 聖母マリア様、左手にヨセフ様だと思いこんでいましたが、いちごの勝手な思いでしてヨセフ様ではなく イエス様でした。 そうその方とお話していて教えていただきました。 王様である冠をかぶって、赤い布をまとっているのは、間違えないイエス様でした。イエス様、大変失礼しました

その方は、Yさんと呼ぶことにします。Yさんは、”私も辛く苦しいのよ。”そう語りだした。”もう死期が近いと感じている”と言うのです。”えー?本当ですか?”たぶん…だから怖くて苦しくてどうしようもなくてここの信者でもないけれど、ミサにも参加しているんだそうです。週に何度かここへお祈りに通っているのだそうです。

そこでいちごの話もした一度目の離婚の事今、夫が病気で入院している事、我子がお互いいるのに逢う事もままならない事、さらにいちごもたくさんの病を抱えている事、その病は毎日出る事も…

”あなたも本当に辛い思いなさっていたのね!”

そう言って二人で大聖堂の中でおいおい泣いた…Yさんの心は清く美しいのである。私のために一緒に涙してくれるなんて・・・しかも初めてお会いしたのに!!

幼きイエズスの聖テレジア様の事は、ご存知なかったようなので私の知る範囲で説明した。そして、24歳という若さでこの世から帰天されたことも説明した。カトリックでは、肉体が滅びることを帰天という。いちごのアルバムにも掲載しているが、テレジアさまは病に犯されながらも、愛を語り続けた奇跡の教会博士なのである。

さらにいちごは、神さまに全てゆだねているので、明日この肉体がなくなったとしても怖くないし、今、そう今日一日だけを生ききる力だけを与えていただいて、生きているとも説明した

朝、目が覚めたら、まだ神様は私の体をお召しにならないのだ。そう思い今日一日だけの祈りを捧げている事も話をした。お互い、語り合い、おいおい涙したらすっきりした、Yさんはお腹が空いたと言った。

”貴方もお昼食べていないでしょう。”

ずばりそうであった。たとえ、1食くらいご飯を食べなくても大丈夫だと想っているから・・・

”でも、ご飯はしっかり食べないとだめよ”

そういわれた。Yさんは、お腹が空いたので家に帰ってご飯を食べるわと言って元気に帰っていった。

”ありがとう、神様、本当にありがとう!たくさんの出会い、そしてお恵みを…!

これからもいちごを見捨てる事なく、あなたに従って今を生きていきます”

† 父と 子と 聖霊のみ名によって アーメン †

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2007年1月 8日 (月)

† 聖家族(家族愛) †

12/30聖家族の日、ミサがあったがあいにくいちごは我子を迎えにいき参加できなかった。本当に 残念だったけれど、元日のミサに高円寺教会で 参加したことで情報を得ようと想っていたが、 時間がなかった。でも、神様はちゃんとわかっていてくれたのである。

マリア・ステファノの病院の近くの久留米教会で手に入れた情報である。

聖家族(家族愛)

一年が過ぎようとしています。 今年一年を振り返って 皆様はどのようなことを 思い起こされるでしょうか? 私には、善い出来事よりも悲しい出来事が先に、 しかも多く思い出されるのが残念です。 今の時代の私たちに一体 何が足りないのだろうか? 逆に何が多すぎるのだろうか? と自問してみました。 答えは、観点によって幾つか出てくるでしょうが、私の見方から考えると ”愛” 足りないし、多すぎると言う答えが出てきました。 

つまり、 ”他者から愛されていない” と ”自分を愛し過ぎる=自己中心で 他者を顧みることが出来ない” と言うことになるのではないかと思います。 この二つのことは根本は同じです。

 ところで、”他者から愛される” と”他者を愛する” ことの原体験を私たちは何時、何処で持つのかと言うと恐らく ”家庭”においてではないでしょうか! 本来、家庭は親から限りなく愛情を 注がれ、愛されることの喜びを実感し、 小さな人間的な輪であっても、 自分以外のものに気遣い、愛のために犠牲を払うことの意味を学ぶ場としての役割を担っていました。 しかし、 家庭の危機あるいは 家庭の崩壊が口口に叫ばれる現在において 家庭がこれまで持っていた役割を 果たせなくなってしまっているのでしょう。

 愛されないままに成長し、 愛し方とその喜びを知らないままに、現在に至っている。従って、 自分しか愛せない現代人が 自己愛のために他者を傷つけている”

このような声が聞こえて来ます。さて、今日の典礼は”聖家族” をテーマとしています。少年のイエズス様は方々を捜し回って来た聖母マリア様に 

”神の子なのだから 神の家以外に居るはずはないでしょう。 どうして他のところを捜したのですか” 

と仰せになっています。 このイエズス様の言葉は幼い頃より神の子としての 意識と自覚があったことを 私たちに示しています。 そして、私たちの家庭に対して 家庭におけるそれぞれのかかわりの中心に神様の前を歩む者(信仰者)としての 意識と自覚を持つことを諭されています。 

そこにおいて日常的に意識される事は ”相互の愛” とそこにしか見出せない ”幸福” なのです。 私たちは、もう一度家庭生活において与え、学び、伝える ”愛” を取り戻しましょう! 新年にあたり今年のテーマとして ”家族愛”を掲げて歩まれてはどうでしょうか!!

私たち福岡教区のために 新しい司教様が与えられるように祈りましょう!!

新成人者のために 祈りましょう! 社会に羽ばたく若者が 様々な困難に負けることなく、大きな理想と希望を持って歩むことが出来ますように!!

以上 久留米教会の神父様のお説教より

いちごは、今 日本全国を巡礼に歩いているのだと感じています。だからここ久留米教会でも 様々な出会いがあり、お導きに与っています。 

†いつか私の家も 聖家族になりますように心から祈ります †

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2007年1月 7日 (日)

† 愛する息子へ †

この8日間、いちごにとって 母としての時間であった。 そう最愛の息子が いつも一緒で あった。 数年ぶりに逢った 息子は、人が変わったようになって いた。 自分の息子とは思えないくらい、立派に 成長していた。 

子育て時計は、動き出したけれど 母の思いだけが ついていけない。母の子育て時計は、あなたを 手離した時から全く、成長して いないんです。よく 考えたら 子供と共に私たち 親も成長させてもらっているんですね!!

そんな我子を 授けてくださった神様に感謝します!

そして、決して見捨てない 神様に感謝します!

息子は、地元 茨城での生活ぶりを 聞いている限りでは、 お邪魔ものだけれど教会その他、南国では心から歓迎されて、 とても喜んでいた。 どこに行っても待っていたのよ そう言われて 何度涙していたことか!!

”こんな俺でも 歓迎してくれる、それがカトリック教会!”

”俺も洗礼 受ける!”

元日のミサに 高円寺教会で初めて参加して 息子の決意… 奇跡としかいいようがない。 

”ご聖体が欲しい!! みんなみたいに俺も 食べたい。”

そんなまっすぐな思いが 伝わってきた。 晴佐久神父様より 第一印象、 目が違うって言われた。 どう違うのかは、 私にはわからないけれど 

私よりはるかに霊聖は、 高く話を聞いていると 本当に神様から守られているのが よくわかる!!

イエス様は、母の日々の祈りをちゃんと聞きいれて いただけてたんですね!!

この春、息子は高円寺教会で洗礼を受けることになった

開かれた教会は、聖書の勉強は後でもよいのだそうです。イエス様の愛をまっすぐに信じてさえいれば…!!

洗礼名は、 ヨセフ・アンナ” である。これは、マリア・ステファノが考えてくれたのである。

ヨセフ様は、 マリア様の夫でありイエス様のお父さまである。

アンナ様は、マリア様のお母さまであり、私の保護聖人でもある。永遠に母との絆が消えることはないようにと 考えてくれたのである。 

マリア・ステファノの心が本当に 清いと思うし、 日々病はよくなっていると信じて 祈りをしている。

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2007年1月 2日 (火)

† 我子との再会 †

いちごは予定とおり、我子らを迎えに行くべく、12/30始発の飛行機で空を飛んでいった。ずっとずっとロザリオをしながら、祈りをしていた。 なぜか、皆が眠ってしまう… しかも先日書いたベルナデッタ握りで… でも、私が祈ることで皆様が 心休めるのであればいいと想う。

実家経由で 車を借りて元嫁ぎ先へ向かう。 心はリラックスしてね。 そう、私の保護聖人である アンナ様より御言葉を頂いている。 ありがたいし、 本当に感謝しています。 早く我子に逢いたい気持ちと もう絶対逢いたくない人の事が 浮かんでは消えていた。 案の定、近くなるに つれて緊張していた。

いつもイエス様と一緒!

心に平安を与えたまえ!

神の子羊、世の罪をのぞきたもう主よ、

我らを哀れみたまえ!

何がどうなったのかわからない位の勢いで我子、息子、娘を実家まで連れてきた。でも、血のつながりなのか、元夫より息子の携帯でコールが鳴る!!私に代わる。あなたと話すことはないからそう言って電話を切る。即、電源カット!!

実家へ着いてしばし、安堵感を覚えているといきなり実家へ元姑が来た。しかも勝手に上がりこんだ。 様々なやりとりの中でいつか、 私は自分ではなくイエス様が語っていた。

”そう名前を呼びつけにするな!!”

”この世でどんな罪も認めなかったとしても、肉体が滅びた時必ず裁きを受けるから!!”

そういいきっていた。

皆、一瞬ハッとしていた。

”誰しも心に覚えがあるからだろう!!”

私のできない事をイエス様は、 私の体を使って裁きを受けた人に 裁きを下すためにやってきた。

結局、この場は、子供達本人の意思を尊重しようという事になった。

息子は、私と一緒にお正月を過ごす!息子は、車に乗っていたけれど私の元にきてくれた、これこそ、奇跡である!!

娘は、既に車に乗り込んでいたし、お父さん大好きだからお父さんと行く!

それでもいい。 母は、半分だけどやっと 宝物を手に入れた

この数年で 息子は一体どれほどの苦労と 困難を乗り越えてきたのだろう!!

辛かったでしょ! 苦しかったでしょ!

でも もう今は大丈夫、神様の愛のお布団でゆっくりおやすみ!!

娘は、私と同じ様子で今、蕁麻疹が出るというそんな状態を放っておけないし、きっときっと神様は、皆が幸せになれる道を携えてくださっている、そう信じて生きていきます。

私の腕は、 悪魔(サタン)から 触れられたので 全身に蕁麻疹が 広がって熱を帯びている。 早くあの悪魔屋敷から 我子を連れ出さないと!

母の使命であると想う。どうか神様私にその道を歩ませてください!

”イエス・キリスト様、私の心と体を全ておささげしても あなたを信じて生きていきます。”

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