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2007年1月 8日 (月)

† 聖家族(家族愛) †

12/30聖家族の日、ミサがあったがあいにくいちごは我子を迎えにいき参加できなかった。本当に 残念だったけれど、元日のミサに高円寺教会で 参加したことで情報を得ようと想っていたが、 時間がなかった。でも、神様はちゃんとわかっていてくれたのである。

マリア・ステファノの病院の近くの久留米教会で手に入れた情報である。

聖家族(家族愛)

一年が過ぎようとしています。 今年一年を振り返って 皆様はどのようなことを 思い起こされるでしょうか? 私には、善い出来事よりも悲しい出来事が先に、 しかも多く思い出されるのが残念です。 今の時代の私たちに一体 何が足りないのだろうか? 逆に何が多すぎるのだろうか? と自問してみました。 答えは、観点によって幾つか出てくるでしょうが、私の見方から考えると ”愛” 足りないし、多すぎると言う答えが出てきました。 

つまり、 ”他者から愛されていない” と ”自分を愛し過ぎる=自己中心で 他者を顧みることが出来ない” と言うことになるのではないかと思います。 この二つのことは根本は同じです。

 ところで、”他者から愛される” と”他者を愛する” ことの原体験を私たちは何時、何処で持つのかと言うと恐らく ”家庭”においてではないでしょうか! 本来、家庭は親から限りなく愛情を 注がれ、愛されることの喜びを実感し、 小さな人間的な輪であっても、 自分以外のものに気遣い、愛のために犠牲を払うことの意味を学ぶ場としての役割を担っていました。 しかし、 家庭の危機あるいは 家庭の崩壊が口口に叫ばれる現在において 家庭がこれまで持っていた役割を 果たせなくなってしまっているのでしょう。

 愛されないままに成長し、 愛し方とその喜びを知らないままに、現在に至っている。従って、 自分しか愛せない現代人が 自己愛のために他者を傷つけている”

このような声が聞こえて来ます。さて、今日の典礼は”聖家族” をテーマとしています。少年のイエズス様は方々を捜し回って来た聖母マリア様に 

”神の子なのだから 神の家以外に居るはずはないでしょう。 どうして他のところを捜したのですか” 

と仰せになっています。 このイエズス様の言葉は幼い頃より神の子としての 意識と自覚があったことを 私たちに示しています。 そして、私たちの家庭に対して 家庭におけるそれぞれのかかわりの中心に神様の前を歩む者(信仰者)としての 意識と自覚を持つことを諭されています。 

そこにおいて日常的に意識される事は ”相互の愛” とそこにしか見出せない ”幸福” なのです。 私たちは、もう一度家庭生活において与え、学び、伝える ”愛” を取り戻しましょう! 新年にあたり今年のテーマとして ”家族愛”を掲げて歩まれてはどうでしょうか!!

私たち福岡教区のために 新しい司教様が与えられるように祈りましょう!!

新成人者のために 祈りましょう! 社会に羽ばたく若者が 様々な困難に負けることなく、大きな理想と希望を持って歩むことが出来ますように!!

以上 久留米教会の神父様のお説教より

いちごは、今 日本全国を巡礼に歩いているのだと感じています。だからここ久留米教会でも 様々な出会いがあり、お導きに与っています。 

†いつか私の家も 聖家族になりますように心から祈ります †

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