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2007年4月28日 (土)

† だいじょうぶだよ †

いちごの所に大分の情報が飛び込んだ。そう、このサイトでも紹介している2007年1月17日(水)のブログで掲載している彼女の訃報であった。多くの病を抱えて、さらに心の病までお持ちの様子だった。まるで自分ととてもよく似ている。歳も同じくらいだったし、でも育った環境で病になってしまったのかもしれない。

私が、”左手を握って右手で十字を一緒に切りましょう”

って、彼女の手を握り、

”私に触ったら病気が移るって言う人もいるのにあなた平気なの?”

って聞かれて、ええ。私は、自分でも多くの病を持っているしそんな事で移るような病気じゃないと思うからって・・・その時、私の祈りは、今日一日だけ生ききる力を与えてくださいと願っていると言った。すかさず、私に自殺はしたらだめよって私の心を見抜いていた。そんなことはしないし、神様は望んでいないことも充分わかっているから、こうして新しい土地で生活がはじまった。

まだ軌道にのるにはちょっと時間がかかるかもしれないけれど・・・でも、今夜はきっと主日の夜ミサがある。そう思ってネットでどこが自宅から一番近いのか検索してみた。地名って難しい、読み方がまったくわからないんだもの・・・。あったー。やはり、光丘教会(ひかりがおか)であった。夕方、まだ明るいうちに行ってみた。夜、19時からミサがあるのでそれまで、教区報やカトリックの本を読んだりして時間が過ぎていった。外は、南国日が落ちるのがおそく、寒ささえ気にしなければ外で本も読めるくらい明るかった。

なぜ、今日はどうしても教会に呼ばれて行ったのか?

それは、訃報を聞いた彼女のためにもお御堂で祈りを捧げたかったからである

私の好きなイエスさま、ここの教会も復活されたイエスさまであった。でも、目線が上を向いている。ミサ後、シスターに聞いてみた。どうして、イエス様は上を見ているのですか?って・・・すかさず、シスターの答えは、天を見ているのよだそうです。なるほどー。いちごは、どこの教会へ行っても真下まで行って目線を合わせてご挨拶をしていただけに・・・イエス様と目線が合わないー。でも、マリアさまとは、ばっちり合いました。そして、両手を広げているマリアさまでした。また、すてきだなーって思わず見とれてました。そして、マリアさまの元にもろうそくのともし火をつけるこの教会はまた違った意味でいちごにはとても新鮮に移りました。

神様、帰天されたばかりの人もそうでない人も煉獄にいる霊魂のためにも祈ります。どうか私たちが心をこめて祈ります。天の国へみんながいかれてともに祈ってくださいますように・・・

父と子と聖霊のみ名によって アーメン †

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2007年4月26日 (木)

† 司教様のために・・・ †

いちごは、今日無事もっと南の国、南の玄関とでも言うべき福岡に引越ししてきたそこから、幸いアクセスしている。今は、様々な情報が発達しているおかげで・・・

神様を信じているおかげで、こんなにも引越しがスムーズに進んだのは人生何度目かの引越しで初めてであった。電車でも十分、休めたし疲れ果てていたし、昨夜は変に緊張していて眠れなかった。でも、今朝炊飯器のご飯の炊く香りで目が覚めた。5時すぎであった。

普段は、ご飯なんて炊いたりしないのに最後の日に限って、おにぎりを持参しようと考えた。一応元主婦、いや今も主婦であるので料理は何でも作ってきたつもりであるが、家の最後のご飯と思って作って持参した。やはり、手つくりの味には、適わないなーとか思いつつ、愛情をどこにどうむけて作ったかわからないが、姉と二人で白いご飯はおいしいって同感していた。至福のとき・・・。

そして、ここ福岡は夫が久留米の病院に入院しているときから知っていたが、現在、司教様が不在なのである。急に病で帰天されたそうである。だから、一日も早くふさわしい司教様が生まれますように、私も微力ながら祈らせていただきます。どこの教会に行くかはわからないけれど、きっときっと神様からのお導きがあると信じております。

どこのカトリック教会に行っても、変わらないよって堂々といえるようにいちごも何か、ボランティアをしようと考えております。ネットでも何かあれば言ってくださればできる範囲で、行いたいとも思いますし、いちごの手や体、そして、声を通して神様がそうさせてくださるのであればそれにしたがっていきます。

世の罪を除きたもう主よ、我らをあわれみたまえ。神の子羊・・・

父と子と聖霊のみ名によって アーメン †

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2007年4月25日 (水)

† 南国最後 †

ここ南国でいちごにとって、これ以上はできないところの限界まで行った自分で自身の限界を知ったとでもいいましょうか?今でも病は、治っておらず時々顔をだす。あるときは、気分の悪さだったり、いつものかゆみの蕁麻疹だったりと・・・でもここにきてこの体調の悪さ。もしかして、もともとあった甲状腺のバセドー氏病が進んでいるのかもしれないと感じている。

早速、主治医に手紙を書いた。もしかして、甲状腺の数値が悪くなっているなら思い切って手術を受けても良いと書いた。別に命の炎が消えても悔いはないし、いちごの最後の死因は甲状腺だとイエス様より聞いているので、特にあせることもないしでもまだ若すぎるとは言われている。

もし、甲状腺を切除してこの慢性蕁麻疹が完治する確立が数%でもあるのであればそれに望みをかけたいとも思う

昨日、我息子より電話があった。珍しいが、なにかあったときしかコールがない、ということは・・・よく聞いたらまた父親が入院したとのこと・・・そうか。でも、あなたは、自業自得よ。そうイエスさまもおっしゃっているし、子供たちの今後の生活を思うと今すぐでも引き取りたい。そう思うが現実は、自分も病と闘っている。もう、少し待っていてねきっとあなたたちがイエスさまのもとで安心して暮らせる日が来ると母は、信じて祈っているからね。南国最後の夜は、静かに自分の身を案じて終わることになりそうだ。

イエスさま、世界中のみんなに信じている人にあなたのいつくしみとあわれみを与えてあげてください。父と子と聖霊のみ名によって アーメン †

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2007年4月24日 (火)

† 大分最後の晩餐 †

今日は、夕方から大分のカトリックのお友達と夕飯を共にする約束をしていた。いちごは、引越しするが故になんだか落ちつかなくて・・・ここ大分でどんなことがあったのか?しばし考えてみた。ここへきてから、いろいろなことがあった

そして、お友達もたくさんできた。そして、なにより一生いや永遠に支えとなる深いカトリックの信仰をもった。そのおかげで今日もこうして生かされている。今日、一日頂いたお恵みに感謝していつも夜の祈りを捧げる。朝も起きたら身支度を整えて早いうちに朝の祈りをする。そして、ここのところロザリオの祈りまでできる時間がたっぷりとれることに神様に感謝である。心をこめて教区のためにそして、司祭のために、そして、ご先祖さまのために、そして病で苦しんでいる人のために、そして、我が子らのために祈る自分のことは、お願いしない。いちごは、いつどうなってもいいと自分で思っているから一人でも多くの人に神様からのお恵みがあったならそれでいいと思っている。だから、自分の病気は治らなくてもいいとも思うし、ただ引越し先で少しからだと心を休める時間がほしい。それだけである。でも、詳しいことは全て神様がわかっているのであえて言わない。

今日も、カトリックのお友達とお話をしていたら、話がつきない。今まで友達でこんな人はいただろうか?幼馴染とかは、いるが変にプライドを持っている友人なので本音では話せない。カトリックのお友達とは、心おきなく本音で話しができる。そして、きっとここでは神様が護ってくださっているわ。とかそんな話がとびかう。

だから、日ごとに信仰が深まるのも当然である。いちごの生活全て今は神様の言いなりである。絶対、無茶なことはさせないし、いちばん安全な道を歩ませてくれる。だから、信じている人みんなにもこんなお恵みをいただけるとありがたいと思いつつ、今日は楽しい食事をさせていただいた。イエスさまではないが、南国大分での最後の晩餐とでもいいましょうか!!

信仰によって知り合って信仰によって友達になって、信仰によってともに巡礼に行ってそんな仲間がどんどん増えていったら日本の南国のカトリック教会ももっともっとよくなることだと私は思う。イエスさま、アンナさま、そのことで私の体や手足をお使いならいつでもおささげします。私の病気もいつか神様によって何とかなるようにも思いますし、夫、マリア・ステファノとの仲もきっと神様のお導きがある日まで待つことにします。

今でも、大分弁は苦手ないちごだけれど南国大分にきて本当によかったかけがえのないお友達を神様からプレゼントしていただきました。どうか、これからもいちご同様、みなが聖とされますように、心から祈り願って大分最後の晩餐の夜を終わりにします。

聖霊に導きによって、私たちみんなに神様からの愛が届きますように!

父と子と聖霊のみ名によって アーメン †

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2007年4月21日 (土)

† 自分の限界 †

いちごは、信仰がある故に何でもできるし、神様のみ旨に叶っていれば何でも叶う、そう思っていた。だから、どんなに辛く苦しくても体を無理をしてでもあれこれこなしてきたでも、もうこの年になると無理はできないこと、自分の体力その他にも限界があることを知った。最近、いろいろな手続きが相変わらず続いている日々だが、いちごの中で限界を超えたとき、体調が悪くなり、気持ちが悪くなったり、また尿が止まってしまう。

昨夜、またそれを経験した。でも、今、ここで私がしなかったら前に進めないし、他に誰もしてくれる人はいないんだ、そう言い聞かせてきたのです。誰かお願いできる人もいないし今私がしなかったら、困り果ててしまう。とにかく、一番先にするべき事を順番にしてあとでいいことはしない・・・そうきめた。それは、入院中主治医のバンビ先生もそうするように指導してくれたし、今まさに実行している。でも、この今の状況で無理をしなかったら先へ進めないことも多く、引越しの時期もちょっと考えたほうがよかったのかとさえ思っている。

でも、引越し先で待っていてくれるお友達もいる。入院中に同じ部屋だった女の子。今でも毎日、メールをくれる。無理しているでしょって、彼女にはどうやらわかっているようだ。そういう彼女自身だって、入院前と変らない環境に退院しているのに何が元気を起こさせるのか?新しい世界、お友達との様々なやりとりが今一番楽しいのかもしれない。

私は、今買い物しても自宅へ帰ってすぐに開けてみたいとも思わない。わくわく、どきどきすることもないし、何で今、息を吸って生かされているんだろうってさえ思うことがある。

ミサにも参加したいけれど、事情があって地元の教会へはいけないし・・・祈りだけが今の全てである。でも、自宅で祈っていても神様はちゃんと私にお恵みを与えてくださるからありがたい。今日いただいたお恵みに賛美と感謝をたたえよう。

父と子と聖霊のみ名によって アーメン †

”湖の上を歩く” ヨハネ6.16-21

イエスが湖の上を歩いて来られた。イエス様ならなんでもおできになるから湖の上を歩くことなんてきっと簡単なことではないでしょうか?もっともっとすばらしい奇跡をおこしてくださるのがイエスさまです。

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2007年4月19日 (木)

† 私のイエス様 †

いちごは、来週いよいよ引越しすることになった。これで人生何度目の引越しかなこれまでの人生引越しのたびにいろいろなことがあってでもどんなことをしてもあきらめないでこれまでこうして生きてきたから今がある。本当にそう心から思います。

夫にプレゼントしてもらったリングは、数多く、ダイヤ入りのものも結構ある。でも、このリングもう、私には、つける身分でもないし、持っていてもこやしになるだけでどうしようかあちこち相談に行ってました。あるとき、神様のお導きでしょうね。ジュエリーショップで18Kのイエス様つきのネックレスを見つけたんです。これって・・・。こんなの見たことないイエス様がついている本物ってネットで海外の教会とかじゃないと手に入らなかったりするし珍しい。

お店の人もこれは、ずっと売れなくてあることさえも忘れていたのだそうだ。早速、見せてもらって結構なお値段だった。私の持っているリングを下取りしてくれるというので、早速持参して行ってきた。かなりの値段で下取りはしてくれたが、ダイヤの大きいのはやはりこのまま残しておきたい。そんな思いでクロスのシンプルなネックレスに加工してダイヤをつけてもらうことにした

これは、夫からいただいたカトリックの愛がこもっているものそれを違った形で身につけることによってきっと、神様はだめとは言わないと思うから・・・お金に変えてあぶく銭のように使ってしまうよりずっと良いと思ったから・・・幸い加工代も安くしてくれて、引越し前には出来上がるらしい本当に神に感謝であった。これから、ずっと私と共にカトリックの永遠の愛を持ちつつ、胸元で生き続けるのです。私のイエス様とともに・・・

これからも、イエス様、道に迷わないように案内をお願いいたします。

今日、いただいたたくさんのお恵みに感謝して・・・父と子と聖霊のみ名によって アーメン †

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2007年4月17日 (火)

† 神への祈り †

神よ、あなたの裁きを望みます。

わたしに代わって争ってください。

あなたの慈しみを知らぬ民、欺く者

よこしまな者から救ってください。

あなたはわたしの神、わたしの砦。

なぜ、わたしを見放されたのか。

なぜ、わたしは敵に虐げられ

嘆きつつ行き来するのか。

あなたの光とまことを遣わしてください。

彼らはわたしを導き 聖なる山

あなたのいますところに

わたしを伴ってくれるでしょう

神の祭壇にわたしは近づき

わたしの神を喜び祝い 琴を奏でて

感謝のうたをうたいます。

神よ、わたしの神よ。

なぜうなだれるのか、わたしの魂よ

なぜうめくのか。神を待ち望め。

わたしはなお、告白しよう

「御顔こそ、わたしの救い」と。

わたしの神よ。

   詩編43より(旧約聖書)

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2007年4月15日 (日)

† 新しい風 †

いちごの家の近くの明野カトリック教会今年4月より新しい神父さまに代わった。噂には聞いていたが、ミサにも行けない状況のいちごには逢う資格もないように思えて・・・でも、夕方5時すぎからお御堂に行って祈って眠っていたそう、いちごはここの両手を広げているイエス様が大好きだから何度辛いとき、悲しいとき、苦しいとき、通ったかしれない。今日も家にいて、また凹みモードになってきたので教会で眠りを楽しんでいた

やっと逢えました。このイエス様に逢いたくて私は何度夢をみたことでしょう!!いつでも何でも聞いてあげるよ。ご復活されたこのイエスさまは本当に素敵で私の愛するイエス様って感じで改めて思い憧れ眠っていました

神様の愛のお布団は、ふんわり暖かで周囲に聖霊と天使がいっぱい飛んでいて聖人の方も一緒に祈ってくださっている。その少し高い位置に私のご先祖様が仏の世界から眺めている・・・そんな光景を見せてもらった。え?これ。夢?だよね?何?この感覚?

でも、みーんないちごの知っているお顔ばかりでちっともゆわ感がない。そんな中にしばらく身をまかせて1時間近く時間は過ぎていた。神様との対話とでもいいましょうか?

ああ言えば、こう答えてくださる。何とも不思議な世界でした。今日、ミサに参加しなかった分、ずっとお祈りしていたからご褒美かな?とかロザリオの祈りを丁寧にしたからかな?なんて単純ないちごはそんなことしか思いつかないのです。

いちごの聖書の先生は、およそ午後6時すぎに毎日夜の祈りを捧げにこのお御堂にやってくる。きっとお会いできるそう思っていた。ロザリオを一連だけして終えた時、先生はやっていた。なんてグッドタイミングなんだろう!!神様はそこまでちゃんと計算されているのだろう・・・。

そこで、またまたこの春着たばかりの神父さまがいらっしゃった。坂本神父さまです。先生に言われてご挨拶・・・この人はね、大変ないきさつがあってちょっとお話を聞いて差し上げて・・・いちごの先生に言われるがままに私が語りだす。でも、いったいいろいろな事がありすぎてどこからどんな風に説明するのが、一番わかりやすいのかさえ自分でも見当がつかない。とりあえず、南国へ着たところからでいいわ!そう思ったいちごは、話だす。そして一通り、早口ではあったがさすがイエスさまの弟子です。ちゃんと理解してくれました

これから、僕が相談にのるけれど、きっとあなたにとって辛いことや苦しいこともあるけれどそれは、耐えられるねそのためにあなたの魂を救うために僕は全力を尽くすから・・・そして、今のご主人とも神が望むようにご主人の魂も救うために僕は同じく全力を尽くすから・・・

イエスさまの愛はみな平等だってことだと思った。気さくなとても話易い神父さまであった。やっとここ南国にも新しい風が吹いてきたようだ。そんな気がした。ちょっと、いやかなり安心した。だって私が眠っていたと話したら、どうぞいつでも来て眠ってくださいって言ってくれた。神様の前でしかいちごの心を開放して安らげる場所がない。でも、何ヶ月ぶりかできた教会は、すっかり春の装いで変っていた。きっと、この神父さまなら若い方も洗礼を受けたいと思うだろうとか、本当に東京の高円寺教会みたいにはいかないけれども、少しづつ変っていってくれたら教会って楽しいところ、そう思えるようになってほしいと切に願う。

イエス様、今日は思いがけなく、坂本神父さまとの出会い、ありがとうございました。私のこれから先望む結果には、ならない場合もあるかもしれないけれどきっときっと神様を信じていれば間違いないと、そう確信しました。実は、高円寺教会の晴佐久神父さまから頂いたアドバイス誰か第3者に入ってもらってこの話は丁重に進めたほうがいいといわれていたのですが、誰にも相談できなかったんです。

神はあなたを愛している、あなたの魂を救うために神父がいるんです。そう道に迷ったらみなさん、お近くのカトリック教会の神父さまに相談してみることをおすすめします。

父と子と聖霊のみ名によって アーメン †

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2007年4月14日 (土)

† 巡礼の雨の意味 †

いちごは、おとといから気持ちが悪く体調がよくない。でも、引越しも前にしてそんなことも言ってられないが、この症状、ストレスが極限に達しているのだと思う!引越しの見積もりが終わるとしばらく休んでいたが、夕刻近く、思い出したように出かけた。

そう向かった先は、これまで何度も足を運んでいる”大分キリシタン殉教公園” であった。これで、何度目になるかわからないが、きっと神様が数えてくださっていることであろう。いつものように、ロザリオを唱えながら、向かう。一番大きな石碑に向かってご挨拶。私の今の心の状況は、説明しなくてもイエス様がわかってくださっているのであえて 言わない。主の祈り・・・マリア様への祈りを唱えた。そして、世界のみんなに平和が訪れますように!!そう祈った。そこで、少し持参したおやつが口に入った。ずっと気持ち悪くてなかなか口にできなかっただけに、嬉しかった。神様、ありがとう!!

それから、帰り道、買い物をして外へ出たら、土砂降りの雨であった。この雨はきっと私の心を悲しみや苦しみ、辛さをわかってくれてきっと洗い流してくれているのだと思った。私もあえて傘は、なしでずぶぬれで歩いた。でもこの感触。これまでここ大分へきて、何度味わったことだろう。もう、おびえることもない、怖がることもない。だっていつも神様がいろいろな形で私に導きを与えてくれる。今日は、雨でも明日は晴れるよ・・・そう今日は、朝から良い天気である。いつか、南国へきて本当によかったと言える日がくるまでいちごには、まだ休養が必要なんだと思う。来週、主治医に予約を入れた。症状が悪くなっているので相談する予定でいる。

神よ、私に新しい土地での生活をするための準備を滞りなくできますように、御力を与えてください。父と子と聖霊のみ名によって アーメン †

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2007年4月13日 (金)

† 晴佐久神父様の講演会 †

これは、昨年10月の晴佐久神父様の講演会後の日記より

いちごです。カリスマ神父の講演会は、高円寺教会の晴佐久 昌英神父様である。1957年東京生まれ、主な著書に 「星言葉」 「だいじょうぶだよ」 「生きるためのひとこと」 「恵みのとき」 「あなたに話したい」 そしてこの度出版されたばかりの「希望はここにある」 である。内容は、どんどん深まっていく。と同時に私のイエス様への思いも浸透しつつあるようです。

46編の救いの宣言- 心と心がつながる瞬間 「全ての闇は光に向かう」
まだ途中までしか読んでいないけれど、一つ一つが心に響くし魂が喜んでいる。
そんな感じさえしている。そう、これこれ。こんなのをきっと待っていたんだろう。
この世の中、何か変?どこかおかしい。日本も人の心も乾ききっている。
そんな心や魂に希望を与えてくれる本である。お勧めの一冊である。

2006/10/28を記念日とし、神はあなたを愛しているし、キリストの心を伝えていくためにやってきたと宣言した神父さま。福音宣言をするためにやってきたとも
おっしゃっていた。フムフム^^
講演会に参加しただけで、聖書の全てが要約されているような気がしてならない。
それだけすばらしいものをこの神父さまは持っているし、充分に私には伝わって
いた。その前に実は、予習ではないけれどこれと同じ内容の文をある人から述べ伝えられていたので(特別かもしれないけれど)リボンにとっては、復習みたいなものであった。これがまさに神様が働いている瞬間なのかもしれない。

そして、ある意味で保護聖人であるアンナさまが私に教えて下さったのかもしれ
ない。そう思うしそう感じている。本当に信仰の神秘でありカトリック教会の浮世
ばなれした世界での現実、こうして生きている。まさに不思議な感じがしている。
だからこそ今日生きている、与えられた命を信頼して感謝していかなければ・・・
そして、勇気と希望、喜びを持って生きていくのがカトリック教会のいい所である。

カリスマ神父さまにマイカーの助手席に乗っていただくなんて夢みたいってお話をした・・・講演会の中では、僕がカトリック教会のカリスマ神父ならばみなさんは、カリスマ信者ですからね!!とお返しに言われた。なんてすばらしい発想なんだろう。
そして、全ての人に言いたい・・・カトリックを信じていても信じていなくても神様は困っている人や苦しんでいる人を救ってくださる。それが救世主イエス・キリストの愛、慈しみ、優しさなのである。

今肉の世界で見えているものは、いつか消え去るもの、でも心の目をそーっと開いてごらん。そこには、どんな心があるのかを・・・その心に聞いてごらん。
何を望んでいるのかを・・・。きっときっとカトリックで言われているような心を望んでいるはず。心が望んでいる事に気がついた人は、イエス様の愛も感じてくると思います。ようこそ、カトリックの世界へ・・・!!信仰宣言なのである。

高円寺教会サイト
http://www.koenji-catholic.jp/

晴佐久昌英神父説教
http://mori2001.com/mori_03/06-ichiran.htm

天使の森
http://www.tensi.net/

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2007年4月11日 (水)

† 最後の十字架 †

いちごにとって、これが最後の十字架となる身内への神様の計らいによる行動・・・。詳細は述べられないが、これまで私がどんなに誠意とつくしても心をつくしてもこの方には通じなかった。

”最後の言葉は、退院したらあなた面倒みるんでしょ? ”

であった。神様は何でもわかっている。だからこそ今回こんな計らいをしてくれたのにも関わらず、まだ私に文句を言う。言い方がきつい人なのかもしれない。私はそれだけで、弱い人間なのかもしれない、まだまだ未熟ものなのかもしれない。でも、本当の正しい生き方は違う。

神様の私に導くその道、こそが私にとって最高の人生だとおもっている。直接神様の声は、私は聞くことはできないけれど、様々な形で気付きがあるから本当に心から感謝している。

今までの私だったら、えーそんな事できません・・・だったと思う。お金に関わることなので・・・でも、今回は違う、神様がそう語り本当にその道が進んでいるのであった。でも、これはきっと神様からの贈り物だと私は感じているし、新しい生活をそして本当の体の病気を全て治すには、この勇気も必要であったんだと思っている。

皮肉に言われたことは、忘れないけれど裁くことはしない。それは、神様が一番わかっているから帰天したときに人生でわかるはず・・・。これからの人生、ちょっとした心がけだけでも変ってくるといっても過言ではない。神様が私の前に大きく手を広げて待っている。さあ、ここにいらっしゃい。そう私たちは、神様から選ばれ、導かれたものだけ、そしてそれを心から信じるものだけが通れる道なのである。

私は、どんな事があっても恐れません。それは、神様を絶対的に信頼しているからです。今日も生かされているこの一日を大いに感謝して賛美を捧げよう。そして、平和が訪れますように、父と子と精霊のみ名によって アーメン †

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2007年4月 9日 (月)

† イエス様の御力 †

今日は、週の初め、役所に手続きに行こうとしたが、あいにく担当者は一日不在とのこと。自宅にて、引越し先の様々な情報を探す外は、小春日和で良い天気。こんな日は、家にこもっているにはもったいない。でも、まだ私の体調が不十分だからこうしている・・・すると!

玄関のベルが鳴る。”聖書についてのお話で伺っていますが・・・”

玄関を開けた。中年くらいの女性2人であった。

”私は、カトリックの信者です。” 

そう言った。少し、驚きの様子であったが、夢とかはお持ちですか?って聴かれて、私は、今日一日だけをイエス様にお祈りしてこうして生かされていただいております。明日のことは、明日頼めばいいのです。いつも、イエス様とアンナ様が守って一緒にいてくださっているから安心して過ごしています。聖書ももちろん、毎日読んでいます。そうお答えしたら、去っていった。 最後にご苦労様です・・・

二人の女性に話す暇もないくらいの説得ある落ち着いた話ぶりであった。さすが、私の愛するイエスさま・・・これからも、ずっとずっと私とともに神の国へ旅立つ日まで、共にいてくださいね。

父と子と聖霊のみ名によって アーメン †

”そして、この春、洗礼受けられた方、本当におめでとうございます!これからが、神様との生活になるでしょう。でも、いつでもどこでもイエス様は私達と一緒にいる、そう信じて信仰生活をすすめていきましょう!”

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2007年4月 7日 (土)

† 神はあなたを愛している †

いちごは、体調が悪くあいにく今日の復活徹夜祭にも 参加できなかった。それは、我息子がすでに昨日予告していたかのようだった。母は、あせるあまり今からでも・・・なんて時間を見ながら過ごしていたが、さすがに体力の限界を自分でも感じている。そして神様は、いちばんそのことを理解してくれている

この1週間 日曜日福岡 強制退院 病院近くの南福岡のビジネスホテル

月曜日 福岡の姉にお世話になり、主治医に確認、荷物を大分へ送る

火曜日 大分朝一番で 荷物が届く 役所で諸手続き その後 体調が悪く 休んでいた

水曜日 大分から朝一番のソニックで博多へ 姉にまたお世話になり、住まいを捜す その後、熱で入院していた病院へ救急でかかる 夜、天神~久留米入り いつもの久留米でのビジネスホテルへお泊り

木曜日 朝一番で久留米教会へ ミサはなかったが、大切な友人と逢えた。それから、福岡へ 元入院していた病院での残りの諸手続き 熱が悪化して近くのビジネスホテルで爆睡(薬院駅近く)

金曜日 朝一番でいちごの主治医の病院へ 9時半にはついたが、私はなぜか一番最後その間、入院してお友達になった人とのふれあい、本当に良い時間がすごせました。熱も治まってきたし、バンビ先生の顔みたからかな・・・!!夜 大分へ

今日、土曜日 息子さえいいというなら母は、無理してでも飛行機で東京の高円寺教会まで行くつもりでしたが、無理しなくていいよと言われて休んでいました

そう、晴佐久神父様に言われたことを思いだしました。

”神はあなたをいつもどこにいても 愛している”

だから、僕の話を信じて聴いてほしい。一度でわからなければ何度でも言うよ僕はそのために神父になったんだからね

”神はあなたをいつもどこにいても 愛している”

ありがとうございます。この一言を思い出すたびに何度救われたか・・・今のいちごがこうしてあるのも、神父さまの 御言葉を信じているからです。いつか、神の国へ旅立つ日までいつもどこでもそばに居てくださる私達のイエス様、これからもずっと迷子にならないように道案内してくださいね。

父と子と聖霊のみ名によって アーメン † 

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2007年4月 6日 (金)

† 捨てられたロザリオ †

いちごは、先日転院したが、あわてて強制退院してきた。そして、なぜか自宅に早く戻るように神様から言われていた。なんでかな?? 自宅に帰って納得。夫の両親によって、家中が全部捨てられていたのであった

その中に、私の娘のためにいつか信仰が 深まったときのために買って用意しておいた 赤の薔薇のロザリオと娘にあった大きさのイエスさまも そして、ロザリオの祈りの本も一緒にプレゼント用に包んであったのに捨てられた。それは、わざわざ横浜からいらした神父さまに祝別していただいたものであった。ない。ない。確かに ここにしまっておいたのにない。

あーやられた。またサタンの攻撃だと思った夫の母は、一応キリスト者でもあるのに、毎日ロザリオを何度も唱えているのに・・・信じられない行動。やはり何か変。私の心に負った傷は更に深くなっていった。

明日は、洗礼前の復活徹夜祭でもある。神様が、奇跡を起こしてくださるのなら明日、母は体調は悪いけれど 無理してでも飛行機で、高円寺教会まで行きます。今年の元日のミサで息子が洗礼を受ける決心をした、その日が明日だから・・・!!

電話での息子は、いつでも洗礼は受けられるって、私の体調を気にしてくれていた。離れていてもちゃんとわかっているんだなーって改めて社会人になった息子におめでとうと 洗礼、おめでとうとも言いたい。いつの日か・・・。

父と子と聖霊のみ名によって アーメン †

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2007年4月 2日 (月)

† サタンの攻撃 †

私、いちごは転院したがいろいろな理由から自主退院してきた。その一番の理由は、サタンからの攻撃によるものであったサタンは、巧妙に私達の身近な人を通じてもやってくる。そのことに気がついたのが、一昨日の夜であった。早速、福岡の神父さまに電話をして、アドバイスをいただいた

”イエス様は  わたしたちが持っている以上の御力で わたしたちを守ってくださいます。サタンよ、去れ!!私の身体が滅びても 魂は永遠のものであるから、マリア様にロザリオの祈りを唱え、1日でも早くこの病院から脱出しましょう!!”

そういわれた。早速、いちごは、以前から妙な気配を感じた時は、サタンよ、去れ!!

主イエス・キリストの命令である。お前達は、この世には必要ないのだ。だからいますぐここから去れ!!

この世には、私達の愛の祈りによって、愛と希望と平和が訪れるのです。そう祈りを捧げています。

そして、日曜日ではあったが先生を呼んで無理やり退院してきました。あのままいたら、わたしは殺されるってそう思いました。でも、私には、いつも神様と仏様がついているのです。だから、心配したり動揺したりしないことです。そして、マリア様、アンナ様全ての天使と聖人を自分の見方につけていつも祈りとともに生かされているいちごでした。

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