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2007年5月28日 (月)

† 追悼ミサの日 †

昨日は、主日のミサであったがいちごは前日の夜、ミサに与った。その代わり、福岡大名町教会で、ヨセフ司教様の1年忌追悼ミサが行われた。司教さまがいるからここは、カテドラル、そして会館のよう大きい教会である。ここのミサは、初めてであった。時間より余裕を持って早めに出かけ、センターでカトリック系のグッズがたくさん並んでいたので、眺めながらカードを数枚購入した。来ていた方ほとんどが何かしら購入していたんじゃないかと思うくらい、シスターさえも買い物をしていた。こんな光景は珍しいと思った。

そして、席を探す。これといって知り合いはいないが、たまたま前列のあたりにどうぞって促され、そこには、久留米教会で朝いつもお会いする方がいらした。この方、オルガン奏者でクリスマスのとき、いちごが祈りに行ったときに演奏をしてくれていた方である。軽い挨拶をして席につく。あたりを見渡すとステンドグラスに囲まれて本当にきれいなつくりであった。その中でじっと、目を閉じて祈りをする。

今日、ここに参加できたことに神様に感謝して、道に迷うことなくこられたのも神様のお導きだと思っております。そして、ヨセフ司教さまが帰天されて1年近くも司教様不在のこの福岡教区にとってこれから、きっとふさわしい方が選ばれてますますイエス様の愛を福音していくことができますように・・・。

30分前になったら、みんなでロザリオの祈りを唱えた。すばらしい。この大きな会場で聖霊と天使がたくさんいる中でこの大人数でロザリオを唱えたら、ヨセフ司教さまもマリアさまもきっと喜んでいるに違いない。いちごも一緒にいつも持っているイエス様を出して、ミニロザリオと普通のロザリオを二つをいつも持って祈りを捧げる。きっと倍になっているかなーなんて思いながら・・・。

周囲を見ていたら、ロザリオには人を癒す力があるのか、シスターでさえも居眠りをしていた。実際、私も眠りそうだった。そのくらい心地よい雰囲気の中でロザリオの祈りは修了して、ミサがはじまる。

司式は、なんといちごが大分にいた時、いつもお世話になっていた引退した平山司教さまであった。久しぶりの声、お歳を召しても変わらず、暖かい心が伝わってくる。

大分の神父さまもほとんど参加していたし、私の通っている教会の神父さまももちろんいらしていた。後輩にあたる神父さまからヨセフ司教さまの思い出話をいくつか、お話してくれた。この司教さまは、神父さまを大事にし、そして信徒の方も大事にし、イエス様の愛を最後まで述べ伝えていらした方であった。

私たちは、神様から選ばれた存在であって、選ばれない人もいるという事を悟るように私は、イエスさまから言われた。

今、転居して周囲にいる友人の一人についてのことであったが、お御堂の中でいただいた言葉である。主は、彼女を神の世界へは、導いていない。何でも素直に信じてしまうのは危険であるから、真実を見なさいと、見せられた。はっとするような光景であった。私が知っている彼女とは、まるで別人であった。これが自由意志によって現実なのだと主は言われた。

また、いちごの人間不信に陥りそうな予感がした。あれだけ信じていたのに、またも裏切りというのか、簡単にうそをついてその場をとりつくろっていただけなのであった。そこまで私には、まったくわからなかった。でも、神様が教えてくれたので、もう大丈夫…過去のメールを見ても確かにこの曜日には、まったくメールがきていない。そうなんだ。口では、どんなことでも言える、でも実際、行動に移してできるかというとなかなかできないのが現実なのであった。

やっぱり、人間は信じられない、私には、こうして導いてくださるイエス様しか信じられない。そう強く思うし祈る。でも、祈りの中にあるように、変えられないものを変える勇気を神様、私に与えてください。

父と子と聖霊のみ名によって アーメン †

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2007年5月27日 (日)

† 苦しみ悩みの十字架 †

 苦しみ 悩みの友なる 十字架

 わが世の 慰め こよなき力

 いざとこしえまで われらは 崇めん

 わが身の誇りは みな捨て去りて

 わが主の 十字架を わが友となし

 ひたすら すがりて 永久の死 避けん

 天地くずるる 終わりの 日には

 主の手に 引かれて 心やすらに

 あめなるみ国に われらは 入らん

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2007年5月25日 (金)

† 神様からの忠告 †

いちごは、先日、主治医に内緒で久留米まで遠出?をしてきた。もちろん、久留米教会にもちゃんとご挨拶してきましたし、祈りもしてきました。ここに夫の病院へくる度に寄らせていただきましたが、今はもう夫は久留米にはいませんので、なかなか祈りにこられないかもしれませんと…。

かなりの強行スケジュールで久留米まで行ってきた翌日、体調に変化が・・・また尿がとまってしまったんです。

またかーって感じでしたが、仕方なくいつものかかりつけへ徒歩でいきました。油汗が出ていたかもしれません。でも、通常30分くらいの距離を夢中だったので10分ちょっとでたどり着いたように記憶しています。とにかく、お腹が張って痛い、尿がたまっているから…主治医にはかからなかったけれど、あとでカルテをみたら次回の受診時に

きっと”何かあったの?”

 そう聞かれるに違いない。やはり、内緒はいけないし、神様を信じているならば正直に話さないといけないのだと感じました。

尿は、夜中も出なくてまた徒歩で、病院まで行ってきました。帰宅したのは、夜中の12時ころだったでしょう。翌日、泌尿器かを受診していろいろと指導を受け、今度は困らないように神様の計らいでしてくださいました。やはり、神に感謝ですね。

神様がいるから私たちが安心してこうして、生かせていただいています。今日、一日いただいたお恵みだけでもたくさんでいつも書ききれないくらいなんです。祈りは、最高の武器でもありますし、必ず神様には届いています。

苦しいとき、辛いとき、悲しいとき、楽しいとき、うれしいとき、いつも神様といっしょに生きていると感じているいちごでした。

父と子と聖霊のみ名によって アーメン †

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2007年5月22日 (火)

† 久留米教会への巡礼 †

いちごは、今日、夫が久留米の病院にいた頃、いつもお世話になっていたMさまの所へ出かける計画をしていた。その中には、久留米教会での朝ミサへも参加するって神様にもお願いしておいたが、神様はちゃんと間に合うように午前4時半ころ起こしてくださった。ありがたかったし、でも、私の体調がよくないので朝ミサはあきらめることにした。久留米教会の朝ミサは、6時半から始まり7時前には終わってしまう。地域性にもよるのでしょうが、とにかく時間に余裕のない運転マナーだったりと教会も時間より早く始まるのです。

結局、午後からJRと西鉄両方の駅へ出向いていってどちらが良いか、判断して西鉄へ乗り込んだ。途中から、特急へ乗り換えしたら、眠かったから眠れると思ったがそんな時間さえなくたどりついた。早いー。便利ー。

一番先にいったのは、言うまでもなくカトリック久留米教会である。つくりが素敵で正面の上からイエス様が見守っている姿に安心して入り口のマリアさまにもご挨拶!!

中へ入ると5月は、聖母マリアさまの月であるから一角にマリア像とその周囲には、たくさんのお花が飾られていた。なんて熱心なんだろう。そこの前でもひざまづいて、祈りを捧げた。私は、この教会に夫が久留米の病院へ入院している間に何度通ったのだろう。朝ミサにも何度も参加して充実したひと時をすごさせてもらった気がするし、数ヶ月の間に親しいお友達ができた。毎朝、ミサに参加している方Mさまである。ミサの後、いつも朝食をご馳走してくれて本当にありがたかったし、今はなきMさんのご主人、大天使聖ミカエルお父様といつも祈りのとき、呼んでいる。

こちらのお宅、先祖代々カトリックで家には祭壇があり、大きなマリア像がある。1メートル以上あると思う。こんな立派なマリア像見たことありません。って私は、その前でいつもお祈りをさせていただく。心が落ち着く。

自宅にこんなマリア像があったらどんなにいいだろうって思う。私も引越ししてきて、自分流にイエス様、マリア様、テレジア様のご像をかざってあるが、しゅろの実を花瓶に入れてにぎやかに飾っている。夜もともし火の明かりで自然と眠ってしまう。

ただし、かゆみで必ず目が覚めてしまう。どうして、蕁麻疹ひどいままなのだろう。イエスさまが十字架につけられて痛みがあったように、私には、かゆみをお与えになったのかもしれない。そう思うと我慢もできるが、あまりにもひどいときは、涙が出てきて神様にこのかゆみから救ってくださいと祈る。この前は、薬を飲んでいなかったのにつけた薬だけで腫れてはいたが、かゆみがおさまっていた。まさに神様の力によるものだと思う。

久留米教会へ今度は、いつこられるかわからないけれど、お手紙でいつもMさんとはやりとりをしている。なので、福岡へ無事に引越しした事を伝えたかったのと、いろいろとお世話になったお礼も兼ねてご挨拶にいったのである。カトリックのいろいろな話をしていると時間の過ぎるのも忘れてしまう。

私の主治医には、久留米教会へ行ったことは内緒にするつもりである。遠出してはいけませんといわれているだけに、やはり、体調に無理があった事は確かであった。歩くことはいいことだけれど、歩きすぎはやはり、体に良くないでしょうから…。

一日も早く健康な体を取り戻せますようにお祈りしていますと言われて、本当にありがたいし、感謝である。ブティックのお姉さんと仲良くもなったし、今日もこれから着る服を1枚購入してきた。それから、久留米はおいしいパンの街でもある。今日も二箇所回っていろいろと仕入れてきた。また、今度いつこられるかわからないけれど、この町並み、イエス様が上から見下ろしてこの街を見守っている。

イエス様の愛がみんなに伝わりますように、父と子と聖霊のみ名によって アーメン

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2007年5月16日 (水)

☆ 息子へおめでとう ☆

昨日の夜、息子から電話があった。おー久しぶりだなー。心配はしていても、母が勝手に行動起こすのも、後始末が大変だから…あなたからの連絡を待っていたのが本音でした。

明日、何の日か知っている?

もちろん、だよ。あなたの誕生日でしょう。お誕生日、おめでとう☆

もう18歳になったのね。

うん。それで車の免許の件だけれど…

それについては、今すぐ免許を取ることは、神様だって望んでいないと思うからだめだと話をしました。仕事にもついて、

今、5月病かな?俺?

とか、言っていたけれど苦労をしながらもがんばっている様子が伺えた。初めてもらったお給料を自分の父親と妹へおこづかいとしてあげてしまい、もう俺、金ないんだ。そんな事を語りだした。

でもきっと神様は、そんな息子の心をちゃんとわかってくれているからきっと、お恵みがあると思っている母です。

母としてお金を出すことは簡単です。でも、お金のありがたさや大切さをよく経験してわかった上で免許は、取得してほしい、そう思う母でした。

父親は、まだ入院している様子、だからお父さんにもおこづかいあげたんだ。そういう息子は、きっと輝いているに違いない。

イエス様は信じているし、守られていることも感じています。だから、高円寺教会へ7月1日に堅信式がある旨を伝えておきました。今度こそ、神様に永遠の命、授けてもらいたい。だから、母もその日を目指して病気を治療しています。

息子は、平成元年生まれ、平和を修める意味で修平と名づけました。いつか、神父になりたいと言った息子の清らかな心を失わずその道を歩んでくれたなら、母は何もいうことはありません。

神様は、今もここにいますし、信じているみんなの心の中にも生きて困ったとき、苦しいとき、必ず助けてくれているはずです。

これからも、イエス様の愛を信じてあなたに寄りすがり生きていきます。

父と子と聖霊のみ名によって アーメン †

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2007年5月13日 (日)

† ミサの力 †

いちごは、やっと引越しの手続きが済んで今は、片付けに追われている。そして、体調がよくないので毎日、病院へ点滴をしに行っている。今日も、帰宅後少し眠っていた。お腹はすいているけれど作る力さえない。お菓子で何とか、済ませたが、なかなか片付けさえも思うようには、進まない。

今夜は、主日のミサが夜あるので、地元の教会へ行ってきた。

最初に、悔い改めの祈りは唱えない。その教会によって方法が違うらしい。その代わり、司祭が聖水棒を持ってみんなのところへ聖水をかけてまわる。それが始まりである。これだけでももう、心も清くなった気がしてくる。

お説教も長々とはしないし、日本人の司祭ではないけれどどこの国かな?

今度聞いてきましょう!!

私が始めてミサに出たのは、ポーランドの司祭だったから、今の司祭さまでもまったくゆわ感はないし、歳を重ねている分、やさしさにあふれている笑顔である。

日本語はたどたどしいけれど、説明は、わかりやすいし、とても勉強熱心な司祭さまである。

ここの所、体調がよくないので、食事もおろそかになっていたが、ミサへ出てお説教を聴いて、ご聖体をいただいたら、力が出てきた。本当に不思議である。平日もいろいろな行事が教会であるが、いちごは病院通いしているので参加できない。でも、きっと今はそうして体を健康にするように時間を与えてくれていると思っている。

帰宅後、お腹がすいて冷蔵庫を開けてしっかり作って食べた自分がいます。

お昼は、冷蔵庫のぞいても何も食べたくなかったのに…こんなにも違う。ミサの力って本当に大きいんだと改めて思った。

ミサの時間より早めに座っていると、聖霊と天使の導きにより、心静かに賛美歌が流れている空間がある。ああ、今日もミサに参加できたことに神様に感謝して祈りを捧げる。

本当は、日曜日に行きたいけれど、体調がすぐれないので午前中は出かけられない。もう少し休む時間が必要なんだろうと思う。

私が転びそうになった時、物を落としそうになった時、階段から落ちそうになった時、いつもイエス様は、守ってくださっているのがよくわかるし、日々のお恵みに心から感謝をして祈りをしている。これが、きっと信仰生活なのかと思う。

ミサは、イエスさまのご生涯がわかるようになっているので、一度でもイエスさまはそこに来ておられ、みんなを守ってくださっています。

イエス様、日々のお恵みに心から賛美と感謝を捧げます。

父と子と聖霊のみ名によって アーメン †

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2007年5月 9日 (水)

† シスターからのお誘い †

いちごは、光丘教会へ土曜日の夜ミサへ2回ほど参加した。そこでいつもお会いするシスターに初めての時、お話させていただいた。この前も覚えていてくださり、嬉しかった。さらに、お隣にきて…

今度、修道院に遊びにいらっしゃい!

そう言われて、私みたいなものでも行って大丈夫なんですか?って聞きかえした。

”ええ、大丈夫よ、いつでも待っているわ!”

洗礼名ではなく、修道女名というのだそうです。お聞きしたところ、

サルベ・レジナ Salve Regina ” だそうです。天の元后、まさにマリアさまの事です

マリアさまという霊名をつける人が多い中で、ちょっと変わっているなと感じました。幸い、拙いながらも、知識があったのでマリア様のことですね。っていえました。いつも、私はロザリオの祈りの最後にこの”サルベ・レジナ” を唱えて祈っていました。だから、知っていたのです。

このシスターは、かなり年配で杖をついて修道服でいらっしゃいます。私、実は修道女になりたい、そう強く思い願った時期がありました。

現に、大分は別府にあるマザーテレサの修道院へ一人で行こうと準備していったものの、たどりつけませんでした。結局、その時は、別府教会でお祈りを捧げて帰宅しました。

自分の教会でお会いしたシスターに、髪型はどんな風にされてるのですか?ってお聞きしたこともあります。輪ゴムで三網のお下げみたいにしているのも、実際に触って見せていただきました。そして、しぐさがかわいい。

トラピスト修道院の修道士さんが、忍者なら、シスターは、アルプスの少女ハイジのように思えてきます。足元も軽やかで、私もあんな風になりたいって何度思ったことか…

でも、私は、既婚者、さらに離婚者、さらに我子もいる身です。入れるわけもないですし、でもイエスさまの元で奉仕しながら、人生を送るってなんてすてきな心清い世界なんだろうって思います。今からでもできることなら、シスターになりたい思いはあります。

さて、そのシスターはきっと私の抱えている十字架の大きさに気がついてお声をかけてくださったのかもしれません。そう、自分ではそんなに不幸?とは思わないけれど、こんなに人生様々な経験してきている人はいないかもしれません。いつも、人によって裏切られてもう誰も信じられなくなった自分がいます。そうしたら、頼るのは、神様だけですよね?

神の子羊、世の罪を除きたもう主よ、われらに平安をあたえたまえ!

父と子と聖霊のみ名によって アーメン †

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2007年5月 5日 (土)

† 博多の街 †

昨日は、福岡の博多にあるカトリック大名教会へ 行こうと向かった。電車の中も休みなせいか、人が多かった。駅おりて、そこから見える風景になんと

”博多どんたく祭り”

が開催されていた。有名なお祭りではあるが、テレビやニュース等でしか 見たことのないいちごには、どれもこれも新鮮だった。あるステージで足が止まった。音楽の音色にひかれるように聞き入っていた。3月にデビューしたばかりの グループだそうだが、ボーカルの女の子が 小柄で笑顔が愛らしくてかわいかった。

”夕焼けランプ”というグループで ”心の木” というのがデビュー曲だった。最後に歌ってくれたが、内容が自然を愛し、人を愛し、心の木を育てていこうという…なんとも、イエスさまのいわれている 天地創造の時代からの内容で本当に癒されて聞いていた。

その後、教会へ向かおうとしたら、次は、赤坂教会のゴスペル隊です。そう聞いては、ん?教会のゴスペル…カトリックではなかったけれど 十字架のペンダントを何人かは身につけていたし、イエスさまを信じている仲間だと思った。

20数人で構成されていたが、生の音色はすばらしく中に賛美歌も今風にアレンジされていた♪ これを聞かせたかったのかもしれない。神様のお恵みだと思った。結局、吸い込まれるように2時間くらいの音楽で心がすっかり豊かになった。

夕暮れ近くなってきたら人も多くなってきて、どこからこんなにたくさんの人が…って思うほどであった。いちごは、歩いた。地図で見ると近そうに感じたけれど実際、歩いてみると距離はあった。でも、運動にもいいし、涼しくて風も気持ちがよかった。

何度か道を聞きながらやっとたどり着いたカトリック大名教会は、どこかのコンサート会場のように大きかった。宣教センターで買い物をしたかったが、あいにく閉じてしまった時間でした。教会の入り口というより会館の入り口には、マリアさまのご像が飾られていた。美しいこんなマリアさま、初めてみました。詳細は、省きますが海外からここ日本へもってきたと説明があった。

中へ入るとおおきい・・・コンサート会場のように会衆席が円形になっていた。イエス様もマリア様もかなり高い位置に飾られていた。目線が合わないくらい遠くを見ていた。

ここでミサが行われているんだ。そう思いながら祈りをする。どこからか、人が眠っているいびきが聞こえた。ん?隣のいすにすっかり横になっていびきをかいて眠っている男性がいた。十字架のネックレスが見えたからきっと、この近くの信者さんなのだろうと思った。いちごもイエスさまの元で眠れるが、まさか体を横にしてまではできなかった。でも、あれだけ気持ちよく眠っている姿に、きっと神様は聖霊と天使たちをいっぱい派遣して心も癒されているんだろうと思った。私も大分にいるときは、いつも教会で守ってもらいつつ眠りについていただけに、この方の熟睡ぶりはよくわかる

受付や掲示板を一通りみて、またこようと帰りの道へむかった。帰りの途中でも様々なキャンペーンをしていて、いちごはこのパソコンにしてから異常に速度が遅いことが気になっていた。自分のサイトでさえ、時間切れで開けないときもある。そこでNTT西日本のキャンペーンに出会った。ここへ引越ししてきたときから、ちらしを見ていたので時間ができたら聞いてみようと思っていたので、詳しく話を聞いて光に変えることにした。それまでは、今のままで我慢しよう…神様は、そこまでちゃんとわかってくれていたのであった。

そして、キャンペーン期間なので工事費用も一切かからないらしく、お土産もいろいろといただいてきた。これからの生活必需品みたいなものばかりで私には、とてもありがたかった。連休明け連絡があるという。今度は、NTTだからネット開通が遅くなることもないでしょう。だって何より神様がついているんだもの。

博多の街でいちごは、音楽で癒され、教会でさらに癒され、さいごのお恵みは、ネット開通の準備であった。神様、今日もたくさんいただいたお恵みに心から賛美と感謝を捧げます。

父と子と聖霊のみ名によって アーメン †

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2007年5月 1日 (火)

† 主日のミサ(福岡) † 

いちごは、福岡へ引越しして初めて主日のミサ(土曜日の夜)に与ることができました。今日は、役所の隣に聖クララカトリック教会を発見、早速中に入ってご挨拶、誰もいなかったけれどイエスさま、マリアさま、ヨセフさま、みんなが迎えてくれました。ステンドグラスに囲まれてとても素敵な教会でした

復活節第4主日 C年 良い羊飼い  ヨハネ10・28より

”わたしはわたしの羊に 永遠の命を与える”

”わたしたちは神の民 その牧場の群れ”

”わたしはよい牧者 わたしは羊を知り 羊はわたしを知っている”

私の羊は私の声を聞き分ける、それがキリスト者の召命であり=イエスの声を聞き分ける イエスの声を聞き分けるには 教育と方法が必要である 大人の信仰の養生 現在ここの教会で洗礼だけを受けて 堅信を受けていない人が250人もいた。13~69歳の人である

 洗礼を受ければそれで終わりではない そこからがスタートであり教会の中で生きる 人々のことが見えていない 自分だけが幸せならいい 目に見えるもの 目に見えないもの たくさんの貧しい人々がいる 召命とは他者の呼びかけを聞くようになる 神の声に気がついて 呼びかけるキリスト者にとって大切なことである 周囲の人々を現実に見つめる あとで神が私に何を求めているのかを 考える 

イエスの呼びかけにこたえることはイエスをよく 知らないとできない事である 

イエスの良い牧者=イエスの弟子と親しいよく知っている イエスといつも一緒にいるしイエスに生かされている 子羊が彼らの牧者となる 

神の子羊=イエスである

私たちの召命はイエスの仕えをよく理解して 命を与えてくれた愛をよくわかるようにしましょう!! みんなはイエスから愛されているのです。

以上 カトリック光丘教会の神父さまのお説教より

久しぶりにミサに参加できたいちごは、嬉しさと喜びとで心は満ちあふれていた。御言葉をいただくだけで こんなに心が豊かになれるのなら ミサは最高の賜物であるし ミサと共に生き ミサと共に終わる 

そんな生涯を晴佐久神父さまはおっしゃっていたことを思いだした。

ミサは最高ですみなさん、悩んでいないでお近くのカトリック教会へ足を運んで みてはいかがでしょうか? 幸い、どこにでもカトリック教会はあります。

父と子と聖霊のみ名によって 神様、迷える子羊をカトリックの道へ迷うことなく歩かせてください アーメン †

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