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2007年6月20日 (水)

† 母の帰天 †

いちごの母は、先日から脳梗塞で入院し、意識不明であったが、皆様のお祈りのお陰で今日まで命を生き続けることができました。母のために祈ってくださった皆様、本当にありがとうございました。

母は、今日の午後12時25分、息を引き取りました。

今までどんなに辛く、寂しかったでしょうね。ごめんなさいね。母へいつも、強情ばかり言って逢うと喧嘩になってしまい、最後に母にあったのは、1/7高円寺教会へ朝ミサへ行くのにベッドで眠っている母が、最後の姿でした

私に何かあるたびに、母は入院を繰り返し私が、母の寿命を縮めてしまったのかもしれません。でも、80歳という年齢は、高齢なほうだとも思いますし、私達が遅く生まれた娘だった故、歳を重ねていたのです。

この10年で、おばあちゃん、父親、そして母親を見送ってきました。もう私には、実の姉妹姉2人しかいません。これから3姉妹で仲良く生きていくべくチームワークをとりながら、兄とともにことを進めていかなくてはいけません

でも、信仰があるからこうして冷静?にサイトを書いていますし、神様は、

生前母の死ぬ時は誰にも迷惑かけず、ぽっくり死にたい。」

その思いを叶えてくださいました。イエスさまからそれは、御言葉をいただいていました。でも、7/1の高円寺教会がポイントだとも言われていたので、まだ大丈夫と安心しきっていたのも事実です。

そして、もしかしたら母は、寝たきりで10年くらいになる実の姉も一緒に仲良く天国へ連れていったかもしれません。イエスさまは、母は、私たち3姉妹が持っている病気を全て持っていってくれると御言葉をいただいています。いつまでも、どこまでも限りない母の愛に守られてこれからの人生、歩んで生きたいと思っています。(今日の紫は、母の好きだったお色です)

本当にサイトで祈ってくださった皆様、ありがとうございました。皆様のもとへも神様からの祝福とお恵みがありますように、心から祈り願っております

父と子と聖霊のみ名によって アーメン †

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2007年6月18日 (月)

† 母のための祈り †

いちごの母は、入院中である。この前のサイトで紹介したが、二回目の発作で脳梗塞を起こして今、意識不明になっている。本当は、飛んで側に行きたいけれど私も病気を持っている身ゆえに、今週の予約が水曜日まである。

今の私にできること、祈りそれしかない祈りは、最高の力です。先日も掲載したが、まさにその祈りによって平安を保たせていただいている神様に心から感謝です。

今までの私だったら、どうしようっておろおろするばかりで泣いて過ごしていたかもしれない。父の時は、父のいないところで何度涙したかわからない。だって、なんで父が・・・そんな思いばかりが募っていた。

今の私は違う。そう信仰があるゆえに歩いていても、常にロザリオの祈りを唱えて、神様に賛美と感謝を捧げ、今、病の床にある私の母に目をとめてやってください。そして、このロザリオは母のために祈ります

そう言って何度、祈り続けてきたか・・・実家の兄から連絡があると必ず良い連絡ではないので、電話がおわるとすぐにともし火をつけその御前にて祈る。気がすむまで…それから、聖書を開く、そのときの御心のところに必ずぴったりの箇所がでる万能の書物であるから・・・。昨日は、イザヤ書であった。数ページ読んでいるうちに疲れが出て眠りについていた。

昨日は、主日のミサ、一応所属しているので高円寺教会に連絡を入れた。ファックスであったがきっと晴佐久神父さまは見て祈ってくださっていると思う。

そして、今になって晴佐久神父さまが神父さまになってから、お母様がずっと病気で患っていらしたこととあわせて考えると全身全霊を込めて祈り、ミサを捧げる御姿は、まさに真剣そのもので1回1回が、貴重な尊いものに思えてくる。私も今までも本気で祈りはしていたが、今まで以上に信仰を深めて祈り感謝を捧げ生きていかなければと改めて思った

カトリックの友人からメールをもらった。

ルカ 8.40~56

”ヤイロの娘とイエスの服に触れる女”

どうやら、ここの箇所に私の道が隠れているのかもしれない。

今、母はたまに目を開けるがほとんど眠っている状態。主治医からも今夜か明日かもしれないと言われている。しかし、聖書には・・・

”人々は皆、娘のために泣き悲しんでいた。そこでイエスは言われた。

「泣くな。死んだのではない。眠っているのだ。」

人々は娘が死んだことを知っていたので、イエスをあざ笑った。イエスは娘の手をとり、

「娘よ、起きなさい」

と呼びかけられた。すると娘は、その霊が戻ってすぐに起き上がった。”

これこそ、イエスの行ったまさにしるし(奇跡)だと思います。私の母もきっと、私が言って話をすればこうなるとそう信じて、都合がつき次第行きなさいと御言葉を頂いている。

”信じなさい、イエスの名によって願い求めるならば願いを叶えてあげよう”

神の子羊、我らには何の力もありません。でも、できることは祈りです

神の言葉を信じていただけるこのサイトを見ている方にも、母に奇跡がおきますように祈りをお願い致します

父と子と聖霊のみ名によって アーメン †

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2007年6月15日 (金)

† 母の入院 †

いちごの母は、関東で一人暮らしをしている。心臓も悪く、障害1級である。でも、女ゆえに口だけは達者で、いつも私は、電話でも怒られたり、気合を入れられる。その母が、

脳梗塞で倒れたって…

兄から一報が入った。

えー命は、大丈夫なの?意識はあるの?

いろいろなことが一瞬にして頭をよぎる。

幸い、命は助かったが(イエス様からまだあなたは、死ぬべきではないと御言葉をいただいてます)身体の機能が全部回復するには、時間を要するらしい。本当は、今月末に別件で入院、手術する予定だっただけに周囲も少し早まって・・・でも、当分脳梗塞の治療だけらしい。

亡き父も脳梗塞で意識不明のまま、9日目に息を引き取っただけに周囲の心配も不安を増す。父は、大腸がんを患っているときに、脳梗塞で意識不明になった。だから、死因は大腸がんではない、脳梗塞であった。今でも鮮明に覚えている、父の死亡診断書。ガンだからってそれが原因で死ぬわけではないって事

同じ福岡に居る姉が今回は、空を飛んでお見舞いにいくっていうので、やっと行ける環境になったんだなと思いつつ、

私は、持病が回復するまではいけないので、

頼むねー

ってお願いした。今まで何かあると私が、駆けつけていただけに何か、このままでいいのかなーとか思いつつも自分のやるべき事を山のようにあるのを前にして思う。神様へ祈る。どうか姉が無事に母の元に行き着けますように…神様は、ちゃんと願いを聞き入れてくださった。こちらは、天気がずっと雨だったのに姉のいく先は、晴ればかりだったそうだ。あーここでも神様が守ってくださっていると思った。感謝の祈りも捧げた。

私は、裁判所、弁護士と様々な相談に行く。その中で、じっくり考えたら神様からのお導きがあったのである。心の目を開いてみたら、そうかー、そうすればいいんだって悟った。早速、夕方、実行に移した。ここ数年のいちごの最大の悩みを解決すべき答えだった。今日の夜7時、全ては終わった

悲しみが喜びに変わる ヨハネ16-23

”はっきり言っておく。あなたがわたしの名によって何かを父に願うならば、父はお与えになる。今までは、あなたがたはわたしの名によっては何も願わなかった。願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる”

まさに聖書のこの通りになったのである。今までの困難や苦難が全て終わり悲しみは大きな喜びへと移り変わっていくのであった本当に、神様に感謝である。今朝、ミサでご聖体を頂いたときも今日は何かあるかも・・・そんな予感がした。

神なる主、神の子羊、父の御子よ。世の罪を除きたもう主よ、

我らを哀れみたまえ。世の罪を除きたもう主よ、

われらの願いを聞きいれたまえ。 アーメン †

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2007年6月10日 (日)

† 招命祈願徹夜祈祷会 †

いちごは、昨夜の夜、いつもとおり、主日の夜ミサに参加した。最近、早めにいき、お御堂の中で静かにして祈りをしているといろいろなお導きがあるのでめもしている。その内容に基づいて日ごろの生活が成り立っているのも、事実である。

いつものミサとは違う。聖水を最初にまかない。今夜は、何か特別な主日 キリストの聖体 であった。

”イエスは五つのパンと二匹の魚を取り・・・しるし(奇跡)を行った。”

ミサには、パンとぶどう酒は欠かせないのであるが、今回、初めてパンにぶどう酒をつけたご聖体をいただいた。おいしいーー^^ アルコール分は、かなり強そうだけれど味は最高であった。ほんの少しでもお酒の飲めないいちごには、少し酔いがあったかな?

って感じでさらに、ご聖体を神父さまにお届けする役目を言い渡された。今日は、何かあるような気はしていたが、これだったか。でも一度でいいからしてみたかったので、うれしかった。神様の元へ自分の手でお届けできるなんて、最高のお恵みだわ・・・!!

いつものようにじっくり福音の御言葉を味わって説明してくれる神父さまは、わかりやすいしいちごにはあっているみたい。メモできるくらいゆっくり話してくれるし。

最後のお知らせで、今日は大名町カトリック教会で徹夜で祈祷会がありますので、時間の都合のつく方は、30分でも1時間でもいいから参加してみてください。といわれた。これは、いくしかないと思った。家にいても山ほどの問題があって祈りでさえ、頭がパニックになるくらいいろいろな出来事がいちごの周囲にあったから…。

教会の中にいるだけで癒されるし、安全な場所。ちなみにうちの神父さまは、午前1時から2時の間に行きますと話していた。よし。きっと電車もないだろうから、朝まで一緒に祈ろうそう思い、自宅に帰り支度をすませ、大名町教会へたどりつく。入り口には、久留米教会でいつもお世話になっていた神父さまがいらした。

ご無沙汰しております。簡単な挨拶をすませ、夜のミサでどうぞって言われ、やってきたことを告げた。ここでも、住所、氏名、所属教会を記入する。もちろん、迷わず高円寺教会って書いてきました。代表できましたーなんてね。

中へ入るとシスターをはじめ信者さまが、席いっぱいにいらした。ちょうどロザリオの祈りをしていたのでいちごも自分のを取り出し、参加した。いいねー。この4つのともし火の中でみんなで同じ思いで心をひとつにして祈る姿は、きっと美しい団体であろうと思う。

1時間ごとにスケジュールが組まれていて、シスターやブラザー、そして、神父さま、青年の部と祈りや賛美歌をしながら時間は過ぎていく。ロザリオの祈りは、なんでなくても眠気を誘うのに徹夜のこの席でみんないい気分でこっくりしている人もいた。それだけ、人の心を癒す力がある。マリアさまへの取次ぎの祈りである。

途中、休憩が何度かあり、自分の教会等の情報交換をする。私には、どこも初めてであってフムフムと聞いているばかりであった。

でも、あなたが今日ここに来たことは、召命されていることなのよ、だからここにこられたことに神様に感謝を捧げなくちゃ・・・そういわれる前に一番にきてそれを神様へ祈りましたと告げたら周囲は驚いていた。それに日々のお恵みがたくさんでって話にもみな、驚いていた。だって嘘ではないし、神様の前で嘘偽りなく堂々とアンナですって言える自分がいますもの…。

さすがに、午前4時過ぎると眠気がやってきた。でもあと少し…私よりみんなお歳を召しているみなさんががんばっているのだから私も・・・そういう思いで祈り続けた。おかげさまでロザリオの祈りと十字架の道行は、全部把握できた。勉強にもなったし、よかったわ。

朝の祈りで修了となったが、朝のミサがそのままあるので参加してきた。昨夜、いちごは参加しているけれど、またご聖体がいただきたかったから・・・ミサ自体は、うちの教会の神父さまのほうがいい。裁いているわけではないが、カテドラルなのに、重要な神父不在?司教さまもなくなって1年不在状態であるこの教会にもきっとこの1年大変な苦労と困難だったにちがいない。だからこそ、日々の祈りの中で一日も早くふさわしい司教さまが誕生しますように、神様に祈ってもいる。

召命を求める祈り

”あなたがたが私を選んだのではない。わたしが、あなた方を選んだ”

とおおせられた主よ。使途の心を持ってみ国のために働く人を選び、お送りください。

人々のために自分を棄ててキリストに倣う人、新しい天と地のために、清い心で聖母に倣う人、福音を証しするために、十字架を担う人、若者の救いのために主に倣う人、悪は避けながらも、悪人の救いに歩みよる人、ほほえみで周りを照らし、愛の心でみなを暖める人、神を信じ、人々に自分を開く人、一粒の麦のように地に落ちて死に、豊かな実を結ぶ人。

主よ、このような人々を数多く選び、あなたの畑に遣わし、主とともに働かせてください。教会の母聖マリア、私たちの願いを聞きいれ、あなたの子イエスに取り次いでください。

私たちの主イエス・キリストによって アーメン †

眠気はあったが、疲れはない、信仰の神秘だと体で感じた夜であった。

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2007年6月 8日 (金)

† 努力 †

努力は道徳的向上に 欠くことのできない条件である。

われわれは、周囲の事情に腹を立てたり、悲しんだりして、何とかそれを変えようと思う。

しかしながら、どのような事情でもこれはすべて、どのような事情のときには どのように行動すべきかという指示にほかならない。

健康であるならばー あなたの力を人びとへの 奉仕のために使うように努力するがよい。

病気であるならばー その病気ゆえに人びとの邪魔をしないように 勤めるが良い。

富んでいるならばー その富から逃れるように 努力することだ。

貧しかったならばー 人びとに何も要求しないように 勤めることだ。

侮辱を受けたならばー 侮辱を加えた相手を 愛するように勤めることだ。

誰かに侮辱を加えたならばー 自分が行った悪を何とか 消し去るように努力することである。

        トルストイ ことばの日めくりより

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2007年6月 6日 (水)

† 祈りは力 †

  祈りは力

この世でもっとも力があるのは 祈りです。

電力でもなく、現代的で強力な武器でもありません。

お金や組織でも ないのです。

いちばん力のあるものは 祈りです。

祈りなさい。 信頼しなさい。

たとえみなが 私たちの敵に回ったように見えても

あらゆることが うまくいかないとしても

私たち自身の中にある あらゆる種類の誘惑が

沸き起こっても 神からさえ見放されたように

感じても なすべきことが私たちの歳や力を

超えるように思えても 変わることなく常に

親に対する子供のような信頼を神に持ち

続ける必要があります。

すぐに恵みはこないかもしれません。

希望はもち続けてこそ、その名にふさわしいからです。

なおも前進し 信頼しましょう。

恵みは、必ず きます。

         大きな願い事より

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