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2007年7月25日 (水)

† キリストの御体 †

いちごは、時間の都合がつく限り今は教会のミサに参加しているいくら深い信仰を持っていても人は弱いもので、ちょっとしたことでつまづいたり、転んだりもする私は、どうやら背負わなくてもよいはずの十字架まで背負っているようだ。事実、日曜日から頭がいたく眠り病になっていた。薬を飲んでいるせいもあるが、ちょっとこの眠りは違う。そう、誰かが眠くてその背負っている十字架の中から眠りについているみたいだ。

数日前は、全く眠れない状態で、朝4時に起きてご飯を炊いて神様、そしてご先祖さまへ捧げた。先日、亡くなった母の夢をみた

その中で母は、喉が渇いてお腹が空いてしょうがないから、早く病院へ行って私の食べるものをもらってきてちょうだい

と言う。でもよく考えたら、夢の中なのに母はもうこの世に肉体はないのである。おかしいと気がついて目が覚めた。そう、それから母の前にお水とお茶菓子や果物、ご飯をあげるようにしている。今でも、いや亡くなったから今は何でもわかっているからこそ、夢の中で母に怒られる。どこまでが現実でどこまでが夢の世界、そしてカトリックはどこまでどこから…?いろいろな思いがわいてくる。

そんな時、ミサに参加することで心も清くなり、また新たにスタートできる感じがしている。今、主に通っている高宮教会は、神父様はみんな日本人で、でも言葉の壁がない分、いろいろな思いや感じたことを静かにお話してくれる。あの静かな空間で目を閉じて聞いていると今日もミサに参加できたことを心から神様に感謝して祈る。

そして、平和の挨拶・・・キリストの御体

と言っていただくご聖体の味・・・が最近変わってきた。みんなそうなのかな?当初は、しけっていたので柔らかい感じであったがいただく回数が増す毎にご聖体の中に硬いものを感じる。私は、最近は口に入れてからゆっくりと席に戻って祈りながらいただく。その中に硬いのが確かにある・・・。

信仰が深まるとそうなのかな?わからないけれど、とてもおいしいし、朝ご飯を食べていなくてお腹が空いていてもご聖体をいただくだけでお腹がとりあえず満たされる。これこそ、エスさまのなせる御業だと思うし、感謝である。喉が渇いていてもその渇きをうるおしてくれる。こんなに守られている私達を愛してくれているイエスさま、そして全ての天使と聖人の方に心から賛美と感謝を讃えよう。

明日は、私の保護聖人聖女アンナさま(マリアさまの両親)の祝日である。明日もミサに参加してアンナさまへいつもお世話になっている祈りと感謝の気持ちを伝えようと思う。

父と子と聖霊のみ名によって アーメン †

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2007年7月21日 (土)

† 私の召命 †

先週の週末より、台風や地震によって被害にあわれた方、謹んでお見舞い申しあげます。どんな形にせよ、自分の家で過ごすことができない不自由さは、本当に心痛みます

神様は、この災害を通して、助けあう心、思いやり、他人への愛を学ぶように導いてくださったのだと先日のミサでお話を聞きました。今週のミサでは、

”わたしの隣人とはだれですか” ルカ10.29より

”心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい。”

”いつくしみ深い父よ、人とのかかわりを見失い、愛に飢え乾く世界に、主イエスは、ことばと行いをとおして愛をもたらしてくださいました。わたしたちが、きょう語られるキリストのことばを、誠実に受け止めることができますように。 † ”

まさにこの聖書の言葉が、現実になっているのを目の当りにしてわたしたちは、キリスト者として何ができようか?そう考えてみたりしました。今、まだ私自身、病気が完治したわけでもありませんし、かといって災害地へ出向いていって何かできること、ボランティアをしたいけれどできないそんな思いをかかえつつ、この数日を毎朝のミサに参加して、災害に合われた方のために祈ることによって過ごしてきました

祈りは力であるように、人のために祈る、これこそまさに隣人愛、そしてみなさんが助けあい、励ましあいながらも協力して生きている御姿をテレビ等でみる度に、神の愛が働いている、隣人愛が行われている、そう思う瞬間でした。

現地では、これからさらに天候によって厳しい環境がやってくると思われますが、どうか希望を捨てないで神様は、現地でもちゃんと働いておられる、そう思うからきっと厳しい環境になる前に救いの道がきっとあるはずと感じています。そのために、イエス様は、十字架に貼り付けになり、皆の苦しみや悲しみ、辛さを感じておわれるのですから…。

人のために祈ることは、キリスト者としてお恵みなのだから、できる限り私も祈りを捧げたいと思っています。特にミサの中で祈ることは、聖霊と天使の溢れる教会の中で完全な力を放ってくださると心から信じて今日もミサに参加しようと思っている私です。

”神様、災害に合われた方の心と体を癒してあげてください。そして、今一番必要としているものを授けてあげてください。私たちの主イエス・キリストによって アーメン †”

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2007年7月20日 (金)

† 生きる力 †

私は、今年になって皆様に心配かけるほど生きることに希望を失っていました。本当に先日は、ご心配おかけしまして申し訳ありませんでした。あれから、早半年がすぎようとしています。私の病も少しづつ、回復に向かいつつある中今はミサにできる限り参加することで御言葉をいただき生きる力をたくさんいただいておりますキリストの体であるご聖体は、本当に尊いものですし、いただく度に私の中で生きる力が増えていくのを感じております

今の顔つきは、入院したころと比べてまるで別人だと言われます。あの頃は、目が死んでいたとも言われました。今は、目が輝いていて何もかも新鮮に見えますし、感動・感激の連続でもあります。それもいつも祈りを捧げつつ歩いているせいもあるでしょうし、マリアさまへのロザリオの祈りは本当に私にとって疲れ知らずと言っていいほどの奇跡のような力をも与えてくださいます。ありがたく、いつも感謝を捧げております。

私にとって洗礼の秘跡は、生まれ変わることだったのかもしれません。今までの過去を全て神様に祈り赦しを願い、今を生かさせていただいております。私の心の中におられるイエス様とアンナ様の御力は偉大であり時には、自分でも驚くくらいの出来事を導いてもくださいます

過去に人間に何度も裏切られ、もう神様しか信じないと自分の中で決めた時から神様は私を全力で守ってくださっているのが、感じますし、常に感謝の念を忘れずに生きております。私の今の生活は、神様の時間で生きているとも思いますし、実際時計はしていても全くといっていいほど必要ないのが現実です。神様が全て支配しておられる私の体をとおして微力ながら、今の私にできること考えながら、お導きを信じてこれからも生きていきます。信仰とともに…

私たちの主イエス・キリストによって アーメン †

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2007年7月13日 (金)

† ミサのすばらしさ †

私は、洗礼の全てを受けてから平日でもミサに時間があれば、参加するようになった。これは、自然と足が教会または修道院へ向いてしまうのである。それだけ、イエスさまの力はすばらしいし、いつも全力で私たちを守ってくださっているのがよくわかる

今日は、福岡は台風で雨と雷。出かける前から、いつもの皮膚病は悪化していたが、傘を差してもあまり意味がないくらい、雨にあたって教会へたどり着いた。

そこで祈った 

† 神様へ今日は、姉と出かける用事がありますので、どうか私たちが出かける間だけでも雨に降られることがありませんように…

そして、この台風によって被害に合われた人達に目を向けてあげてください。避難所で、尊い命を落とさざるを得なかった人達にも目を向けてあげてください。そうミサの最中に祈った †

”私は、平和をあなたがたに残し、私の平和をあなたがたに与える。”

そういわれるイエス様、ミサの中でそんな御言葉の通りになりますように…祈る †

ミサが終わって外へ出たら、雨はやんでいた。これって祈りの力?イエスさまの力!本当にすばらしいと思った

この九州地方へ直撃とも言われている台風。どうか、イエスさまのいつくしみと哀れみによって、台風の目から日本がそれますように!これ以上、被害者が出ないように祈ります † 

でも、この台風にもきっと意味があるのだと感じる。人間が自由意志によって、災害をもたらすほど神様の怒りを頂点に達してしまったのだとも思うし、でも全く罪のない人まで被害にあわれるには、心が本当に痛みます

聖書の中には、全て神様が支配しておられると書いてありますし、雨・風・台風・雷さえも神の意向のままに・・・そうとも書いてあります。でも、どれほどの憤りをイエスさまがお感じになってこのような被害が大きくなっているのには、相当の十字架上での痛み、苦しみがあったのだとも感じています。

私達の変わりに十字架に貼り付けにされて、痛み・苦しみを感じていらっしゃるイエスさまへ私たちは、もっと謙虚に祈りを捧げなければいけないとも思います。

† 恵みの十字架 イエス・キリストの尊いおん血に対する奉献 †

あわれみ深い主よ、あなたの偉大さのみ前にわたしは 無にすぎないことを考えて、み足のもとにひれ伏し、恩知らずのわたしに 与えてくださった恵みを感謝いたします。特に尊いおん血をもって わたしを悪魔のおそるべき悪の力から 救ってくださったことを、感謝いたします。わたしの大好きなマリア、わたしの守護の天使と保護者たち、また天の全ての天使たちの前で、最愛のイエスよ、わたしは自発的に 心からあなたの尊いおん血にゆだねます。

この尊いおん血によって あなたは、世界を罪と死と地獄から 救ってくださいました。あなたのおん恵みと おん助けに支えられて、わたしたちのあがないの価いにあたる尊いおん血に対する信心を 広めることを約束します。それは、尊いおん血が、ふさわしく礼拝され 尊敬され光栄を受けるためです。

こうして、わたしは、愛のこの尊いおん血に対して 与えられた侮辱とたくさんの瀆聖(とくせい)とを つぐないたいと望んでいます。おお尊い おん血よ、あなたを傷つけたわたしの罪と 冷淡さと瀆聖(とくせい)を取り消すことができましたら、なんと幸せでしょう。 わたしの最愛のイエスよ、あなたの聖なるおん母、あなたの忠実な使徒たちと 聖人たちとがあなたの尊いおん血に捧げた 愛と尊敬と礼拝をわたしも捧げます。あなたが わたしの今までの不忠実と 冷淡さとを思い出さないで、わたしの罪を すべて取り消してくださるように お願い申し上げます。

神であり 救い主であるあなたの尊いおん血を わたしと全ての人の上に注いでください。わたしたちが 十字架につけられた愛であるあなたを、これからのち心をつくして愛し、わたしたちの あがないの価いをいつもふさわしく愛することができますように、私たちの主イエス・キリストによって アーメン †

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2007年7月 6日 (金)

† 奇跡・お恵みのありがたさ †

梅雨空に相変わらずの皮膚病再発で、泣きたい位かゆいのをこらえて・・・好きなことしている時は、平気です。どうも、このお天気にだけは耐えられない様子の私の体。仕方ないし、これからも息が止まる日までいつまでかわからないけれど仲良く付き合っていかなければいけない。

私の母が、亡くなったのは6月20日、それもお昼すぎであった。その日、私は病院の予約掛け持ちで忙しくあとひとつ診察だけでおわりであった。まだ、時間がありそうだから姉にメールする。

今、何していた?

返事は、母は危篤だからって連絡まっている

とのこと。

えー嘘でしょ。

だって、祖母も父も危篤状態を何度も繰り返して息を引き取っているからまだまだ先だと思っていた。でも、実際は私が姉にメールを入れた時間が母が息を引き取ったのであった。これって偶然とは思えないし、脳梗塞で意識もない母は、もうすべて神様にゆだねていた。私には、奇跡だとも思うし、お恵みだとも思う。よく世間で言う虫の知らせってやつかもしれない。

次は、飛行機のチケット、私は、それから大急ぎで薬だけをいただいて帰宅し、落ち着いて必要なものだけをかばんにつめる。私の飛行機は、チケットが支払いが済んでいたのでこれもいつどうなっても大丈夫だからって、神様から準備するようにさせていただいたこと。JALのカウンターに行って今から乗れる羽田行きを予約する。窓際の席が空いていた。一人だから、開いていたのかもしれないし、でも私の前の席の家族連れ、お父さんだけ中にひとり座っていたよね。これも、神様の計らいかもしれないと思った。そして、その日は天候が悪いので途中、ゆれるかもしれないとアナウンスが…実際、ゆれた瞬間が数回あったが、私が神様に向かって祈りを捧げた。もちろん、ロザリオの祈り、いつでもどこでもできるこのマリアさまへの取次ぎの祈りは、本当に効果抜群である。私にとっては…ありがたいし、たいしたゆれも感じなく羽田までたどりついたことに感謝であった。

そこから、数回の乗り換え、でも迷うことなく行けた。福岡空港から一人で行くのは、初めてであった。途中、姉たちと何度か連絡とりあったが、私のほうが50分くらい早い飛行機であった。でも、実家の一番近い駅まで行かないのに乗ってしまい、といっても一駅前、姪っ子に迎えにきてもらった。ありがとう。心から感謝!!

実家へ着くまで母が、亡くなったなんて信じていなかったし信じられなかった。到着。ひっそりとしながらも、なんか妙な雰囲気、母は・・・間違いなく、生前亡くなったらこの布団に寝せてちょうだいねっていう願いもちゃんとかなって布団に横たわっていた。

顔には、白いきれ?布?が・・・祖母・父と見送ってこの母で最後・・・怖さもなく迷わず母の元にいき話かける。白い布をとって・・・顔は、まるでお化粧をしたように色が白くきれいな穏やかな表情であった。そこで母に話した。

お母さん、私だよ。お見舞いにこられなくて、そして、お父さんの7回忌にも病気していてこられなくてごめんね。最後にあったのは、我子を送ってきた夜泊まって、1月7日朝一番で高円寺教会へいくためにベッドで眠っている母へ帰るからねと声だけかけて、顔は見ていなかった。なんて親不孝なんだろう。私って…。

でも、話かける、もうお母さんこの世での肉体の痛みはないんだからね。これからは、魂は永遠の命、だから仏の世界で亡くなったお父さんの元へ一歩一歩歩いていってね。

その前にイエスさまにお会いすると思うけれど…

全能の父なる神様から、あなたの人生はどんな風でしたか?

きっと聞かれているし、それによってどこの世界へいくのか判断されていると思う。私は、母も天国(天界)へいけると思って信じて祈っているからね。だって、母の生前の行いは、神様がすべてわかっていることだし、いまさらどんな言い訳しても通じないってこと、だから今の命を清く正しく生きてきた母は、天国へいけるとおもったの。

でもね、両親いると面倒をみるのは、どうやら役割があるらしい、私は、父の闘病をずっと見守って看病してきたし、母の場合は、同じ福岡にいる姉が役割であったみたいね。だって、母にとっては、自慢の優秀な娘だったもんね

私は、そのまったく逆でいつも反抗して心配ばかりかけていたし、お前みたいに親不幸はいないって母からはっきり言われていたもんね。でも、それでもいいんだ、私たちの母であったことには間違えないし、これからも私たちのために天界から見守ってくれているってわかっているし、感じるから・・・。

辛かったね、苦しかったねそう言ったときは、涙がでていた。でも、私は涙はふかない、そうイエスさまがぬぐってくれるから・・・この母への思いで涙が出ているのを癒してくれるから

それが、私の信じているカトリックの信仰だし、お御堂の中で涙を拭かないってことはなんども経験しているからわかっているもん。だから、イエスさまに祈り頼りすがって生きている私です。きっと、母は魂になってからカトリックの世界についていろいろと聞いて勉強したと思うけれど、私の信仰は決して変わることはないし、いつもイエスさまとアンナさまがついていてくれる安心感の中でどんなことがあっても生きていけます。

父と子と聖霊のみ名によって アーメン †      続

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2007年7月 2日 (月)

† いちごの洗礼 †

ここのサイトでも堂々と公表していますが、私、いちごは、カトリック教会の洗礼の全てを昨日、東京大司教区の岡田司教さまからいただき、晴れて高円寺教会の正式信者となりましたこれまでの道のり、どんなにか辛く苦しく悲しみに襲われ、本当にやっとここまで来られた、これも高円寺教会の皆様のお祈りや支え、そして、アドバイスによって私も神様から救っていただいた一人です。本当に心から神様の愛を感じ、賛美と感謝を捧げます

私は、洗礼名も堅信名も同じく、アンナ(マリア様のお母様です)、いつかアンナさまのようにみなを暖かい心で包み、見守るようなことができたら・・・そんなアンナ様を目指してこれからも祈りと共に歩いていきます。私の保護聖人であるアンナ様、イエス様、これからもよろしくお願い致します。

私が困った時、苦しい時、イエス様やアンナ様に話かけます。そうすると、すぐに答えてくださるアンナ様優しさにいつも感謝しています

”あなたは、私にとって特別だし、孫なのよ”

とおっしゃってくださったアンナ様、本当にうれしく思います

私は、実の母を亡くし、身内は、3姉妹だけになりました。でも、イエスさまへ私が祈るとき、イエス様、マリア様、そしてアンナ様、そして天使と聖人の皆様、そして、反対側には仏の世界で亡くなった父の姿、そこへむかって一歩一歩歩いている母の姿が浮かんできます。母は、肉体であるからだがなくなっただけで、魂は永遠のもの、今もなお生きているし、心配しながらも私達を見守ってくれている、そう感じているから涙は、告別式にはほとんど出ませんでした。みんなは、泣いていたのに冷たいわねー。なんていわれても平気です。

昨日の堅信式の方が、涙が溢れてきました。これまでの困難、苦難を考えたら、この良き日を高円寺教会で迎えられたことが私にとってはこの上ない喜びです。晴佐久神父さまとお写真も撮っていただいたし、念願のヴェールもいただきました。でも、つけても馴染まないみたいで私の代母、シスターが何度も子供の服を直すように整えてくださいました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです

そして、晴佐久神父さまと同じ境遇になりましたと、(両親共にいない意味で)、お話をして

右手で握手をしてくれてこれからも祈りながら、がんばりましょう

と言ってくださいました。

朝、私は澤田神父さまの朝ミサにも参加して、途中からですが、朝一番でご聖体を頂いていました。さくさくとおいしかったです。そして、堅信式の時は、晴佐久神父さまからご聖体を重みをこめて

”キリストの体”

と言って

”アーメン”

といただきました。また、一日2回もご聖体いただけるなんて幸せ…です。私の中でカトリックと出会えたことは、招かれた人だけが知っているキリストの愛をみんなに福音宣言していかなければと、改めて思いつつ今度の七夕に友人をカトリック教会の夜ミサへ招待して一緒に行く予定です

招かれた人だけが感じるキリストの愛にあなたも参加してみませんか?

私が、今,全て失っている状態であってもこの信仰だけは心から信じて生きていきます。今日一日頂いたお恵みに感謝をしながら… 

父と子と聖霊のみ名によって アーメン †

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