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2007年7月 6日 (金)

† 奇跡・お恵みのありがたさ †

梅雨空に相変わらずの皮膚病再発で、泣きたい位かゆいのをこらえて・・・好きなことしている時は、平気です。どうも、このお天気にだけは耐えられない様子の私の体。仕方ないし、これからも息が止まる日までいつまでかわからないけれど仲良く付き合っていかなければいけない。

私の母が、亡くなったのは6月20日、それもお昼すぎであった。その日、私は病院の予約掛け持ちで忙しくあとひとつ診察だけでおわりであった。まだ、時間がありそうだから姉にメールする。

今、何していた?

返事は、母は危篤だからって連絡まっている

とのこと。

えー嘘でしょ。

だって、祖母も父も危篤状態を何度も繰り返して息を引き取っているからまだまだ先だと思っていた。でも、実際は私が姉にメールを入れた時間が母が息を引き取ったのであった。これって偶然とは思えないし、脳梗塞で意識もない母は、もうすべて神様にゆだねていた。私には、奇跡だとも思うし、お恵みだとも思う。よく世間で言う虫の知らせってやつかもしれない。

次は、飛行機のチケット、私は、それから大急ぎで薬だけをいただいて帰宅し、落ち着いて必要なものだけをかばんにつめる。私の飛行機は、チケットが支払いが済んでいたのでこれもいつどうなっても大丈夫だからって、神様から準備するようにさせていただいたこと。JALのカウンターに行って今から乗れる羽田行きを予約する。窓際の席が空いていた。一人だから、開いていたのかもしれないし、でも私の前の席の家族連れ、お父さんだけ中にひとり座っていたよね。これも、神様の計らいかもしれないと思った。そして、その日は天候が悪いので途中、ゆれるかもしれないとアナウンスが…実際、ゆれた瞬間が数回あったが、私が神様に向かって祈りを捧げた。もちろん、ロザリオの祈り、いつでもどこでもできるこのマリアさまへの取次ぎの祈りは、本当に効果抜群である。私にとっては…ありがたいし、たいしたゆれも感じなく羽田までたどりついたことに感謝であった。

そこから、数回の乗り換え、でも迷うことなく行けた。福岡空港から一人で行くのは、初めてであった。途中、姉たちと何度か連絡とりあったが、私のほうが50分くらい早い飛行機であった。でも、実家の一番近い駅まで行かないのに乗ってしまい、といっても一駅前、姪っ子に迎えにきてもらった。ありがとう。心から感謝!!

実家へ着くまで母が、亡くなったなんて信じていなかったし信じられなかった。到着。ひっそりとしながらも、なんか妙な雰囲気、母は・・・間違いなく、生前亡くなったらこの布団に寝せてちょうだいねっていう願いもちゃんとかなって布団に横たわっていた。

顔には、白いきれ?布?が・・・祖母・父と見送ってこの母で最後・・・怖さもなく迷わず母の元にいき話かける。白い布をとって・・・顔は、まるでお化粧をしたように色が白くきれいな穏やかな表情であった。そこで母に話した。

お母さん、私だよ。お見舞いにこられなくて、そして、お父さんの7回忌にも病気していてこられなくてごめんね。最後にあったのは、我子を送ってきた夜泊まって、1月7日朝一番で高円寺教会へいくためにベッドで眠っている母へ帰るからねと声だけかけて、顔は見ていなかった。なんて親不孝なんだろう。私って…。

でも、話かける、もうお母さんこの世での肉体の痛みはないんだからね。これからは、魂は永遠の命、だから仏の世界で亡くなったお父さんの元へ一歩一歩歩いていってね。

その前にイエスさまにお会いすると思うけれど…

全能の父なる神様から、あなたの人生はどんな風でしたか?

きっと聞かれているし、それによってどこの世界へいくのか判断されていると思う。私は、母も天国(天界)へいけると思って信じて祈っているからね。だって、母の生前の行いは、神様がすべてわかっていることだし、いまさらどんな言い訳しても通じないってこと、だから今の命を清く正しく生きてきた母は、天国へいけるとおもったの。

でもね、両親いると面倒をみるのは、どうやら役割があるらしい、私は、父の闘病をずっと見守って看病してきたし、母の場合は、同じ福岡にいる姉が役割であったみたいね。だって、母にとっては、自慢の優秀な娘だったもんね

私は、そのまったく逆でいつも反抗して心配ばかりかけていたし、お前みたいに親不幸はいないって母からはっきり言われていたもんね。でも、それでもいいんだ、私たちの母であったことには間違えないし、これからも私たちのために天界から見守ってくれているってわかっているし、感じるから・・・。

辛かったね、苦しかったねそう言ったときは、涙がでていた。でも、私は涙はふかない、そうイエスさまがぬぐってくれるから・・・この母への思いで涙が出ているのを癒してくれるから

それが、私の信じているカトリックの信仰だし、お御堂の中で涙を拭かないってことはなんども経験しているからわかっているもん。だから、イエスさまに祈り頼りすがって生きている私です。きっと、母は魂になってからカトリックの世界についていろいろと聞いて勉強したと思うけれど、私の信仰は決して変わることはないし、いつもイエスさまとアンナさまがついていてくれる安心感の中でどんなことがあっても生きていけます。

父と子と聖霊のみ名によって アーメン †      続

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