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2008年6月28日 (土)

† 長崎への旅 †

私は、明日長崎の浦上天主堂で行われるパウロ年開年ミサに参加する予定だった。

http://mixi.jp/view_event.pl?id=32525315&comm_id=142584

まだ見ぬ長崎の教会、パソコンではあちこちの教会を見ているけれど実際に長崎へ足を運ぶのは初めての事、やっと自分の座席確保したのに…この続く梅雨の季節の体調の変化と持病の悪化で参加することを断念した。電話で連絡をした。私よりもきっとキャンセル待ちをして楽しみにしている人がいる。

でも、きっときっと神様は私を見捨てることなく、いつも暖かい眼差しで見守ってくれていることでしょう。だから、今回は移動時間も長いことだし、出かけた先でみなさんに迷惑かけてもいけないと思うのであきらめたのです。

持病が良くなったら、全国いや世界各国を回りたいという夢は今でも変わっていません。いつか今よりも楽になる日がきますようにお祈りをします

そして、明日は長崎まで行かれる方々が無事に福岡まで戻ってこられますように、神様の御心に叶ったものとなりますように †

私は、毎週の通院で微妙にステロイド内服薬を変えた。翌日から、悲しいことに慢性疾患の蕁麻疹が表れた。今では、体全部にできていて本当に痒い。ステロイドは、いかにすばらしい薬かが身を持って実感できる。しかし、長期的に内服するには、副作用が怖いものである。ステロイド内服当初から、副作用も考慮してその薬も飲んでいる。ここのところ、痒みのない生活で快適であったのに…。

とにかく、痒みとまた仲良く付き合っていくしかなさそうである。

神様、病に伏している人に目をとめ、あなたの光の中で憩わせてください。私たちの主イエス・キリストによって アーメン †

今日の御言葉

 もう何も話さずに 並んでみかんを食べましょう

  晴佐久神父さま あなたに会えてより

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2008年6月24日 (火)

† 癒しの塗油 †

私は、教会へ行くことが今の楽しみ。様々な病気を患っていながらも、生きる支え、力を日々頂いています

先日、聖霊刷新セミナーへ参加してから、聖霊に満たされた神父さまという存在を知った。初めて参加した私に、病者の塗油をしてくださり、聖霊の祈りの会にも参加するように言われた。これは、神様からのお誘いだと私は思い、早速、昨日、カトリック小郡教会まで足を運んだ。

http://www.geocities.jp/dominic_itjp/

聖コロンバン会のオカロール神父さまは、自らギターで伴奏をしてくれて聖霊への祈りの唄を皆で歌う。御言葉を味わい、聖書をわかりやすく説明してくださった。それから、参加した人全員に癒しの塗油をしてくださった。こんなすばらしいお恵みいただいて、心から感謝でいっぱいであった。聖霊を賛美して祈るとき、様々な御言葉が浮かんでくる。

分かち合いでは、実に証を語ってくださった人もいて、感激で満たされた。

神父様のお話の中で、私がいつもお祈りしていること

今日一日だけの必要の糧を与えてください・・・†

今の私には、それだけで充分であると言われて涙が溢れてきた。今日一日、神のみ旨のままに生きるだけで自我を出さず、与えられた歩みの中に神様の存在を知る。本当にありがたく、感謝し、賛美せずにはいられないと感じました。

神様は、どんな状況にあっても決して見捨てることはなく、今の自分は神様の傑作であると・・・背負っている十字架は、大きく重たくてもけっしてゆるぐことはないと言われた。

身も心もすっかり癒されて教会を跡にした。

今日の御言葉

”思ったままのことばを 感じたままの歌にして ”

   晴佐久神父 あなたに会えてより

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2008年6月20日 (金)

† 母への祈り †

今日で、母が亡くなって1年経ちました。この間、実に私事ですがいろいろな出来事がありました。もちろん、母が亡くなったのも突然だったし、ちょうど1年前を思い出すと感情がこみ上げてきます。父は、7年前に他界しているのでもう両親共にいません。いるのは、3姉妹だけです。

カトリックの祈りをしている私は、

日々の祈りの中で両親へ天界でも心配しないでよいからと御願いしていますが…

どうも今だに私のことは心配な様子で先日も両親そろって夢に出てきました。夢の中でも心配していると言われて…もう私は、どうしたらいいのやらわかりません?!

先日、高円寺教会で母のためにミサを御願いしたのですが、今日は近くの教会のミサにてお祈りを捧げました。金曜日なせいか教会のミサは、小聖堂がいっぱいなくらいの人でした。

† 私は、こうしてイエスさまの声を聞き、したがって一日を生きているから大丈夫…だから天界への階段を一歩づつのぼって行ってください アーメン †

一日を与えられた歩みの中で生きる…これがどんなに尊いことか、価値あることか身をもって感じている私です。

ミサ後、要理の勉強会に参加しました。神父さまのお話は、

全てのことには、訳があり あらゆるものは神様を愛するための道順である。

涙は、心がきれいでないと流せない、母親は我子のために涙を流しながら祈ることは、必ず聞き入れられる。

苦しんでいる人には、深みがあり愛に変わったとき本当の優しさに気づくものである。

本当に心癒されるもので参加してよかったと思いました。

神様を賛美し、感謝を捧げ、聖霊とともに今日も祈りを捧げます †

今日の御言葉

 輝く流れ星 終わりは はじまり

  晴佐久神父さま あなたに会えてより

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2008年6月16日 (月)

† 信仰の神秘 †

先週、私は、関東に住む息子と共に高円寺教会へ行く計画が実現した。洗礼は、来年の復活祭にしていただくとして求道者のための勉強会にも導かれて私も参加した。韓国の神父さまの教えであったが、今まで私が教えてもらったことのないとても興味深く時間をすごすことができた。息子も興味を更にひかれている様子であった。その後、夜のミサに与った。

今年、叙階されたばかりの神父さまのミサであったが初々しくて、好感を覚えた。息子は、洗礼までご聖体は頂けないが決意を新たにしたようであった。

”洗礼を受ける”

どんなにすばらしいことか、どんなに尊いことか息子にはわかっているようであった。母としてできること…息子のためにもお祈りをすることである。神様は、私たちの心の奥底まで全てわかってくださっているから、でも言葉に出してお祈りをする、それが離れて暮らす母にできることである。

ミサ後は、お茶の間から移動して交流会が行われて参加できた。晴佐久神父さまともお話をできたし、息子にとって楽しい充実した時間であったと思う。翌日は、主日のミサにも与った。これは、晴佐久神父さまのミサであった。私は、実母の1年忌に合わせて帰省していたので、母のミサも依頼した。神父さまは、本当に丁寧に心をこめてお祈りしてくださって、その思いで私は、涙が溢れていた。良かった、本当によかった。

息子と共にすごす時間を大切にと思っていたが、秋葉原で買い物をしたいと言うので付き合って買い物を早々に済ませた。息子の蒸し暑くて人ごみの中では、もう居たくないので帰ろうと言う言葉で私たち親子は、10分違いで秋葉原の事件に巻き込まれなくてすんだのである。これも、神様が守ってくださったのだと確信せずにはいられない出来事である。

しかし、秋葉原で怪我をされた方、命を落とされた方、心に傷を負った方、心からお見舞い申し上げますと同時に、心も体も癒されますようにお祈りしております †

息子を電車のホームまで送っていき、見送った後、寂しさで涙がこみ上げてきた。ホームに座りしばらく、涙を流していたがとりあえず、今夜のホテルに行こうと電車をのり、気がついたら間違えていた。でも、神様は私の心をわかってくださり四谷にあるイグナチオ教会へ導いてくれたのであった。お御堂の中へ入るとミサの最中であった。そのまま、ミサに与ってご聖体をもいただいた。インドネシア語のミサであったが、同じ信仰を持ち、通じるものはあるものである。平和の挨拶は、日本とは違っていた。私は、心も癒されて外へ出ると教会祭りをしていた。国際色豊かなイグナチオ教会は、各国の郷土料理などを作って販売していたが、終わりの時間が近づいていた。でも、雰囲気だけは味わうことができた。

イグナチオ教会

http://www.ignatius.gr.jp/index_j.html

福岡に戻って昨日は、主日のミサであった。教会から帰宅して、息子からメールが入った。なんと、息子は住まいの近くにあるカトリック那珂教会へ行ったという。

那珂教会

http://www2.gol.com/users/pmurphy/naka-church/

これこそ、奇跡?まさに信仰の神秘と言わざるを得ないことであった。3枚も教会の写真を撮って送ってくれた。母の信仰が間違いなく息子に伝わっていることに神様へ感謝と賛美を捧げた

今日の御言葉

どこまでも続く草原 きっと また逢える

     晴佐久神父さまの あなたに会えてより

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2008年6月14日 (土)

† 熊本への巡礼 †

私は、福岡教区婦人会の主催で熊本への巡礼に参加した。

召命の恵みを願って… 島崎教会・花岡山殉教地巡礼

向かう途中のバスの中では、ロザリオの祈りをしながら、いかにも同じ目的を持ったものの集う民であった。私は、初めて熊本へ巡礼に…

カトリック島崎教会  

 ”自由に人間らしく愛に生きて 限りなく純粋でありたい”

私たちの住む熊本に、今を去る365年前、江戸幕府禁教令の中で、自由に貧しくキリストの愛に生き、限りなく純粋に人間らしい生き方をした、一家族がいました。

 今、現代人の理想とも言えるこの先人たちの生きざまを、ここに紹介します。

”幸いなるかな 義のために迫害される人 天国はかれらのものである”

                 マタイ5-10

幕府の弾圧、禁教令の「死の壁」を越えてキリストへ向った、この先人たちはキリストの教え(み言葉)の中に人間性の解放と自由、そして神の愛、人類の救いを観ていた。今、この先人たちの生きざまを通して神は、私たちに、人間の尊厳について「なにか」を語りかけようとしている。

キリストの証人 殉教者(小笠原一家)はここ花岡山に眠っておられる。永遠の復活を待ちつつ主キリストによって アーメン†

・寛永12年12月23日殉教

・殉教者

小笠原 玄也  加賀山 みや  長男 源八  

     長女 まり  次女 くり  

     次男 佐佐ヱ門  三男 三ウ右ヱ門

     四男 四郎  五男 五郎  

     三女 つち  六男  権之助

    侍女四名

毎年4月に熊本教区で殉教祭が行われている。

先日紹介した遺書と同じ人物なだけに心打たれるものが大いにありました。

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2008年6月 5日 (木)

† いのちの旅立ちを前に †

ペトロ岐部と187殉教者の列福式は、今年11月長崎にて行われる。福岡教区報では、かれらの遺書を掲載している。とても心に響き、かれらの信仰を深く味わうことができる。かれらがごく普通の人々であり、人々とのかかわりの中に生きてきた人たちでありながら流されない信仰の支えは何であっただろうか。

「覚悟はしていましたが…」 という言葉に感動と神の愛の強さを感じる。

殉教者 小笠原 玄也家族の 《 遺書 》

いのちの旅立ちを前に・・・

 良い便りがあり一書したためます。あなたにおいては何のお変わりもありませんか。私たちはこの数年間覚悟はしていましたが、宗教のことで親兄弟みな囚われの身となりました。豊前の時代より一度はお会いしたいと思っていましたが、それも叶わずに実に残念に思います。皆様はこの道のことについて理解がなく、愚かな死に方をするものだとお考えでしょう。特にこの道のことは時間をかけて分かる種類のものであってみれば、時がくればご理解いただけると信じます。豊前以来のご厚情心より感謝申し上げます。命のある内一度はお会いしたいと思っても遠方にいて、これもならず、この世の常のこと、仕方がございません。友達になる以前からの定めなのでしょう。詳しく事情を説明したいのですが、玄也方の方からそれを詳しく伝えることはできません。さようなら。

12月3日

   山中 太郎左衛門 様            

                左近

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2008年6月 2日 (月)

† 聖霊のイエスのつぶやき †

わたしは いつも待っている

 病気で苦しむ わたしの友のもとに

 運ばれることを

 ミサに出られない 病床の友を力づけることを

わたしは いつも待っている

 死に臨む わたしの友の最後の糧となることを

 死は恐れるに 足らぬこと

 わたしは 死に勝ったと告げることを

わたしは いつも待っている

 この世の苦しみの中で 力尽きたわたしの友が

 わたしの前で その苦しみを吐露し 

 わたしが共に苦しむことを

 それによって その苦しみが軽くなることを

わたしは いつも待っている

 あの放蕩息子のように 父のもとを去った

 わたしの友が

 父のもとに帰るために わたしを訪れることを

わたしは いつも待っている

 わたしの苦しみが 友のためのもので

 あったことを

 わたしが友のために 命を投げ出したのを

 思い起こしてくれることを

わたしは いつも待っている

 かつて苦しんだように かつて命を

 投げ出したように

 今も 友のために苦しみ 

 命を投げ出す用意があるのを

 悟ってくれることを

わたしは いつも待っている

 これまでも 今も これからも

 友の苦しみ 悲しみはわたしの苦しみ 

 悲しみであるのを わかってくれることを

わたしは いつも待っている

 わたしの復活が わたしの友に希望を

 もたらすものであることを

 わたしがいつも 共にいるのを

 悟ってくれることを

わたしは いつも待っている

 しあわせに満たされた わたしの友が

 父に賛美するために わたしのもとを

 訪れることを

わたしは いつも待っている

 氷点下の寒さの聖堂 聖櫃の中で

 40度を越す 暑さの聖堂 聖櫃の中で

 1日中 だれも訪れることのないこの聖堂で

わたしは いつも待っている

    (フランシスコ会 旅人の糧 ご聖体より) 

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