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2008年8月26日 (火)

† 殉教者を育んだ教会 その3 †

日本の教会の源流には、挫折して惨めさを味わって弱さを充分自覚したその人たちを通して、福音が入ってきたんです。今もその流れは変わってはいないと思います。あの軽蔑するあの人を神様が選んだんです。あの人を通して神様は福音を伝えようとしています。さあ、そのような道具、宣教師たちを使って、そして興されてきた日本の教会。

イエズス会、ドミニコ会、フランシスコ会、アウグスチノ会、それだけでは限界がある。だから教区の司祭をつくろうといって、司教さまは独自に教区の神学校をつくって、記録がはっきり残っているのは修道会だけなんです。

しかも、イエズス会が一番はっきりしています。ほかの修道会がたくさんあった、そしてあちこちで殉教があっています。その事はあんまり詳しくは伝えられなかったんです。 その中に明らかにはっきりと三つの姿を見ることが出来ます。一つは、信者たちの中に、慈悲の組、ミゼリコルディアの組といいます。「もう、泣くな。」 そう言って、社会の傷んだ部分、壊れていく部分、悲しむ部分に近づいていって、そして立ち上げる人たちが出てきたんです。それが、慈悲の組、ミゼリコルディアの組と呼ばれるグループです。

二つ目は、サンタ・マリアの組、聖母の組。この人たちはマリア様の熱狂的な礼拝、そういうことではないんです。名前だけは聖母の組と呼ばれていますけれども、内容は徹底した信仰教育をする、その信徒たちのグループです。

三つ目は、エウカリスチアの組、聖体の組と呼ばれました。仲間がみんなを代表して、捕らえられて、そして殉教していく。あるいは絶望的になってしまって、教会から離れていく人たち。責めるのではなくて、みんな聖体の前で40時間ぶっ続けでお祈りしているグループです。1年に1回、2年に1回潜伏している司祭が来た時に、みんなが聖体を拝領できるようにあらかじめ準備をしておきます。そういうグループが殉教時代の中に出てきました。このミゼリコルディアの組、聖母の組、そして聖体の組、この三つのグループの働きです。

「皆の者、ここにおります人たちは、信仰のために命をささげる、いさぎよい人たちでござる。どうか、土下座するようお願い申す。」 1629年1月12日、米沢の北山原刑場で、責任の奉行が集まった米沢藩の人たちに、あの原っぱで最後に高らかに宣言した言葉です。最初は120万石、追われ追われて米沢で30万石の本当に貧しい藩に成り下がっていきます。貧しさは人を清めます。二代目になった時の、もう持ちこたえきれなかった。そして藩が分裂していきます。その時に「致し方なし。」そう言って、このキリシタンの主だった人たちを「申しわけないけれども。」そう言って、そして処刑していくんです。 しかし、誰も縛られなかった。長崎も江戸も京都も、みんな縛られていくんです。東北のこの地の人たちだけは、縛られていませんね。

惜しまれて愛されて、そして去っていった人たちです。あなたたちがいてくれなければ困る。あなたたちがいてくれて本当に良かった。米沢の貧しい地の中で、この人たちの存在はなくてはならなかったんです。それが教会でした。愛されて、惜しまれて。処刑が終わった時、彼らのその亡きがらを、新しいむしろに包んで、葬るのは信者でない人たちでした。この地には、悪人は一人もいなかった。殺す方も殺された方も、悪人ではなかった。きれーな表現です。私たちの先輩は、皆さんそういう風にして受け入れられたんです。

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