« † みことばと確かな信仰 † | トップページ | † ゆずれないものとまことの自由 † »

2008年10月23日 (木)

† 信仰のきずなと教会 †

「教会とは、イエス・キリストを信じ、ともにその教えを伝承し、人びとにも伝えるすべてのキリスト信者の集まりです」 どちりなきりしたん

「これで有馬の教会の信仰がお分かりでしょう。わたしたちはみな同じこころで、ひとつになっています」 レオ武富勘右衛門

愛する者に囲まれて人は自らを自覚します。そこに居場所を見つけるからです。居場所とはきずなのしるし。家族も教会もきずなによっていのちをはぐくみ、実らせます。

ロザリオとろうそくを手にした2万人ものキリスト信者が殉教する8人の仲間を見守っていました。2万人の仲間の祈りは地鳴りとなって天にこだましました。

「わたしたちキリスト信者は、何のとりえもない貧しい者ですが、神の子供と呼ばれる身分にしていただきました。」

貧しさの自覚と告白、そして神の子供となるめぐみを受けた喜びが、苦労する仲間との一体感を育てます。いのちを賭けてまでも、弱さのために教会から離れた仲間を励ます天草のアダム荒川。

「同胞の救いのために、最後まで前進したいという、大きな希望を抱いている」 と言い切るペトロ岐部。殉教の時代、キリストの神秘体を構成する一員たちです。

わたしはいま、何に囲まれていますか。誰かに見守られていますか。どこに居場所がありますか。何にもかえがたい、確かなきずなを持っていますか。「同じ思いで生きることの幸せ」 を感謝できますように。

<祈り>

いつくしみ深い父よ、あなたは何のとりえもないわたしたちを、めぐみによって神の子の身分にしてくださいました。このきずなによって集められたわたしたちが思いをすべての人に伝え、あなたときずなのうちにまことの幸せを見いだすことができるめぐみをお与えください。 わたしたちの主イエス・キリストによって アーメン †

|

« † みことばと確かな信仰 † | トップページ | † ゆずれないものとまことの自由 † »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/184258/24695340

この記事へのトラックバック一覧です: † 信仰のきずなと教会 †:

« † みことばと確かな信仰 † | トップページ | † ゆずれないものとまことの自由 † »