« † ペトロ岐部と188人の殉教者たち † | トップページ | † 列福式に参加できない人のためのミサ † »

2008年11月21日 (金)

† 祈り †

ペトロ岐部と188人の殉教者たちの列福式を間近に控え、共に祈りましょう †

父である神の思いを生きる親たち

”忠興様、何と仰せられようとも”  小笠原 玄也

父親像、黙って見守っていても子供は自分にあるものに気づき、成長するといいます。大人に大切なのは「待つ」 ことです。

聖書が伝える「父なる神」 という考えもわからなくしているようです。ヨハネによれば、親は最初に神の教えを知ったものであり、その教えを子供に伝えることが務めであると言っています。その教えとは、「互いに愛し合うこと」 です。

1632年、主君の細川家が熊本に移されたとき、ともに熊本に入り一軒の家が与えられた小笠原一家。間もなく、屋敷牢に閉じ込められ、50日を過ごしました。その間に一家は16通の遺書を残しています。息子や娘のものもそれに含まれていて、読む者に多くを考えさせてくれます。子供たちは、親が信仰を強制したからではなく、自分たちが殉教の死を選んだと述べています。子供は親の背中を見て育つものです。一本筋が通った生き方を父親が見せることで、子供たちは確かな生き方を学んでいくものです。

<祈り>

人びとを導いて下さる神よ、あなたは殉教を遂げた父親たちの模範をわたしたちに与え、家庭を通して信仰に奉仕する者の姿を示してくださいます。一家の柱である父親が、家庭にあっても社会にあっても、その役割を意識し、信仰を持って使命を果たすめぐみをお与えください。わたしたちの主、イエス・キリストによって アーメン †

|

« † ペトロ岐部と188人の殉教者たち † | トップページ | † 列福式に参加できない人のためのミサ † »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/184258/25544977

この記事へのトラックバック一覧です: † 祈り †:

« † ペトロ岐部と188人の殉教者たち † | トップページ | † 列福式に参加できない人のためのミサ † »