2010年1月13日 (水)

神様からの祝福 †

今年、成人式を迎える息子と教会へ行った。
教会で成人の日の祝福を人間からではなく、
神様から頂きたいとの息子の願いであった。
約束の日、息子と待ち合わせの場所で会い、
晴佐久神父さまのいるカトリック多摩教会へ
向かった。
土曜日の夜のミサは、18:30からでもちろん
主任司祭の晴佐久氏の仕式でのミサであった。
いつもなら事前に神父さまに連絡をしておくのだが
今回は全く内緒での行動だった。

ミサが始まり、神父さまが顔をあげるとちょっと
びっくりした表情であった。
そう、私と息子は一番前の席でごミサに与って
いたのである。
久しぶりに見た晴佐久神父さまの

”主はみなさんとともに…†”

この時の広げた手が私は好きであり、全ての
ものをも包み込む偉大なまさに神様のみ手だと
感じている。

この日は、主の洗礼の主日であった。
イエスさまが初めて洗礼を受けたという内容で
ある。

神様の親心、この世には神の洗礼はない。
私たちにとって再洗礼はミサである。

”あなたは私の愛する子”

死は誕生である、天へ一つづつ近づいている
私たちは、死の先どりが洗礼である。次はあなた達の
番ですと神様はおっしゃっています。
今日、この中に私が洗礼を授けた人がいます。
すかさず息子は、

”はい”

 と手をあげて言いました。

洗礼を受けてからどのくらいたちましたか?
半年は過ぎています。この半年間あなたたちは、
何をしていましたか?

目を見て開いていなければ、神様の恵みが
わからない、いつか天に召されていく道を
信じて信仰を伝える証となっている。
本気で信じているならば、本気の信仰を見せる
ときがきている。皆の魂を熱くするために…
それが司祭の召命である。

先日、入院先で病者の塗油をしました。
もう意識がなくて、でもちゃんと耳は聞こえています。
最後の言葉  

”神父さま ありがとう”

ちゃんと答えてくれました。なんと美しい信仰を
持って、神に召されることは心は喜びでいっぱいです。
天が開いて神様が見える瞬間です。

さあ、身をひきしめて2010年をはじめようでは
ありませんか!
私たちは、1日1日を捧げるべきであるとパウロは
天地がつながるような言葉を残しています。
新たに造り変える洗い、それが洗礼です。

私たちは半分死んだものであり、永遠の命を
半分頂いているのです。そんな信仰を大切に
していきましょう。試練は続くけれど希望に
満ちた光景であってほしい。

私が司祭の叙階の秘蹟を受けた時、忘れられない
実父以上の恩・縁を感じる。

”叙階するのは、司教だから…そして私に働く神様の力を信じるから!”

そう言って私を司祭にしてくださった白柳枢機卿さまの
思い、言葉が今でも更なる信仰を持ち多くの先輩たちに
支えられて生きてきた。

”夜、一人でいるのが怖い”

と言い召された人間の弱さ、全てを赤子のようになって
恐れを神様に委ねられていた。

”司教さま、ありがとう!後はお任せください!”

と棺の傍10センチでささやいた。小さくうなずいていた。

2010年を恵みの年にしましょう!
晴佐久君の中に良いものを見たよ。
自分の最後は・・・私が想像しているのより、どんなもの
よりも違う、だから救いです。

私たち親子は、新年のミサのように心を新たにして
信仰をさらに深めて生きていこうと思いました。
ミサ後、息子は神父さまよりたったひとりだけ成人の
祝福をしていただきました。
明日のミサの中でも成人の祝福があるの言うので

”明日も多摩教会へ来たい”


という息子に神父さまは、

”あなたは高円寺教会の信者です。明日、高円寺教会
のミサへ与るように…”

と促してくださいました。
帰りがけ聞いた話ですが、今日のミサはいつもより長く
丁寧にしてくれてありがたかったと…。
神父さま、そして天の父なる神様、私たち親子に
いただいたお恵みに賛美と感謝を捧げます。
これからも、私たちを見守ってくださいますように、
そして、成人の日を迎えた若者たちが教会で活躍
することができますように…†

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2009年5月 4日 (月)

優しさ

私は、晴佐久神父さまと同じ時期に実母も亡くして
両親ともにいません。だから、何かに頼って生きて
行かないと過ごせません。それが、私にとっての
イエス様、信仰なのです。

両親は、仏の世界で亡くなったのでキリスト教は
大反対でしたが、亡くなってからイエスさまの
様々な
計らいで感謝をしている様子です。

私には、父親の声は聞こえませんが
我が息子には聞こえるらしいのです。
そして、何かあるとヨセフさまとともに相談に
乗ってくれているみたいです。

私は、父親から優しさを教えてもらいました。
怒られたことはありませんでした。母からは
しょっちゅう、怒られていましたが、その位
父は優しい穏やかな人でした。

私が離婚したときも、自分のせいだと涙をした
そうです。もう、天界にいるのだからそんなに
心配することはないと言われているにも関わらず
今は、キリスト教の本を読んで勉強をしている
様子です。

天界の父からの俳句です。

我が娘(私の本名) 父親の愛は無限と 優雅爛漫にし 涙こぼれる

生前も俳句を楽しむ人でした。
こんな経験をさせていただいた神様に心から感謝をし
賛美をしたいと思います †

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2009年4月26日 (日)

あなたを愛していたのよ!

聖木曜日、主の晩餐の夕べのミサに上京する前夜、与ることができた。カテドラル教会へ行ったが、司教様自ら司式をされていた。そのことに感動を覚えた。

”神が与えてくださったすべての恵みに どのように答えようか。

 わたしは救いの杯をささげ 神の名を呼び求めよう。”

福音説教では、この春叙階されたばかりのヨセフ神父さまであった。きっと、初めての大きな説教で生涯心に残るものとなったであろう。

お説教の中で、記憶に新しい中国・四川省大地震の被災地でのメッセージであった。

ちょうどがれきの中に埋もれた母子がいた。その母は、わが子を守りたい一心で自分の命をかけてわが子を抱えたまま発見された。そして、わが子に残してあげられる最大のものは何かと考えて、持っていた携帯電話にメッセージを残した。

そこには、”お母さんはあなたを愛していたのよ!”

我が子が大きく成長しても忘れることがないように思いをこめたものであっただろう。

そんなお説教の中から、すすり泣きの美しい涙があちこちで輝いていた。

それから、洗足式が司教さまの手で行われた。神父さまの洗足式は見たことがあるけれど司教さまのは、初めてでまた感動した。まさに腰に帯をつけてイエスさまがおられると感じたごミサであった。ご聖体も司教さまよりキリストの御体と御血の両形態で口に直接頂いた。聖霊に満たされた教会、神父さま5名立会の元でのすばらしい聖木曜日であった。

父よ、あなたこそわたしの神、わたしのすべてをあなたに…†

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2009年4月14日 (火)

光の子

この復活祭にカトリック高円寺教会で我が息子は、洗礼の秘跡を授かりました。

”あなたは新しい人となり、キリストの光をもたらす者となりました。キリストに従って、光の子として歩みなさい。”

霊名 ヨセフ

と洗礼証明書に書いてありました。息子のを改めて見ると、自分の時と重なって感じられる。今回、教会からいただいた洗礼証明書と聖書は、息子の自宅に持ち帰ることはできず、私が福岡まで持ってきた。息子を取り巻く環境がキリスト教ご法度の地域であり、一切話もできないでいるので処分されたら困る。

神様はどこまでも限りなく私たちのみ心をわかっていてくださいます。実は、私は教会からの聖書を持っていないのです。私の手元に届かなかったのです。洗礼を受ける前からマイ聖書はありましたが、教会から頂くのにはなにか意味があるとずっと思っていました。今回、なぞが解けました。

今時のサイズの聖書で字も大きく見やすくなっていて、さらに晴佐久神父さまのメッセージ入りだったのです。もう、感動、感激でした。自分の十字架の重みを聖書の重みと受け止めて大切にしたいと思っています。

息子も含む洗礼者は、67名でした。神父さまの異動とも重なって保留になっていた信者の家族や神様の招きに素直にやってきた人たちです。

かけがえのない時、一瞬、天の父へ   これらの出来事はすべて誰が行ったのか、私たちは力をもらって生きているのか。死の時、すべてをお返しするのは神様であり、信じてひとつになって守られて恵みのうちにある。

尊い神の子として選ばれて集められた受洗者たち、2009/4/11のために生きてきたのです。これから新しい人生が始まります。神様の親子との関係がはじまる。今日から今から…全く新しい神様のみ業がはじまります。神様の恩寵のうちにある恵みによってこの瞬間が導かれ結んでくださいました。今まで生きてきたどんな場所にもこの恵み、この場所にはかないません。

これまでは、蝉のぬけがらみたいなものででもその日が大切であったこと、もはや死ぬことはありません。絶望はありません。すべての罪は赦されて生まれ変わっていくのです。この世にはもう二度と死の闇に落ちることはない、神様の救いを実現します。

あなたも救われたかったらここに来てほしい †

晴佐久神父さまの復活祭でのお説教より

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2009年3月24日 (火)

感謝す、主の愛に…♪

♪感謝す、主の愛にー♪

♪感謝す、み恵みをー♪

♪感謝す、豊かなるー♪

♪救いの主よ 感謝すー♪

今年の桜は、開花も早く福岡では、満開宣言が出されたそうです。この季節、私にとって一番辛い思いでのある時で、今年はこの苦しみをイエスさまの苦しみに合わせて四旬節を乗り越えたいと切に願うばかりです †

黙想しているだけで涙が溢れてきて、病院の先生にも相談したけれどこれまでの人生が壮絶なものだったから忘れることはできないのでしょう…そう言われた。

そう、息子の卒業式にも参列出来なかった私は、もちろん、娘のも見ていないし、息子の娘の制服姿さえも見ていないで今がある。だから、今回の息子の洗礼は私にとっては、母としての特別なもので思いも日ごとに膨らんでくる。

高円寺教会から洗礼式についてのお手紙がきた。どうやら、私も席を確保していただけるようで嬉しい限りである。

お手紙についてもサタンからの邪魔が入り、すんなりと私のところに届かなかった。でもやっと一安心・・・。

大分のマリア先生からの手紙

嬉しいお便りありがとうございました。息子さんの洗礼のことが決まり何よりです。親が子供に残せる最高のものは 「 信仰 」 です。幾多の困難を乗り超えながらよくぞ、ここまで・・・と感心しています。すべては神様からのお恵み、感謝しましょう。

と書かれてあった。マリア先生はこれまでの私の経緯をすべて知っているし、大分にいたとき聖書の先生でもあった。学校の先生をされていた方で、その後カトリック幼稚園の先生をされて今は、教会の受付にいます。先生は、シスターのなりそこないだっておっしゃるけれど、決してそんなことはないし、私は初めて会ったときからシスターだと思いこんでいたくらいでした。先生の優しさに守られて、辛いことや苦しいことも乗り越えてこられたと言っていいほどである。

”あなたの宝のあるところには、あなたの心もある。”

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2009年3月12日 (木)

† 島原の殉教者 †

明日は、事情があってミサに行きたいけれど
行けないのです。その後の十字架の道行の
祈りにも参加できないので、自宅にて
お祈りします †

今日は、ミサ後に長崎出身のエリザベトさんから
2/21の殉教日に島原の殉教地(ご聖体に
生かされた教会)へ巡礼に行ったお話を
歩きながら分かち合った。

2/21、松倉豊後守の命により、キリシタンに
対する拷問が島原城の濠(ほり)で始まった。
その中に幼い3人の子供がいた。両手の指3本が
切り落とされた時、その腕を目の前にかざした。

「美しいバラの花を見る人のように、ゆっくり
傷口と切り落とされた小さな指から流れる血を
眺めていました」

幼い子供たちの気丈な姿は、報告書に書かれている。
その後、裸にされ有明海の2月の冷たい海に
沈められた。

「お父さん、こんな大きなお恵みを神に感謝
しましょう」

”ご聖体は賛美されますように †”

聖体への祈りが、彼らの遺言になった。

この日に巡礼ができたことは、大きな喜びで

あると言っていた。2月の寒さを経験することで

少しでも殉教者の思いに近づきたい。

すばらしい信仰である。私もいつも学ばせて

いただいている。

”主イエスよ、み手から私を離さないでください †”

”私たちは、キリストと教会へのあかしとして、この

いのちをすべてささげようと心は燃え上がっております”

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2009年3月 3日 (火)

感謝です †

カトリック高円寺教会へ息子とともに行けた喜び…神様に感謝せずにはいられない。

そして、土曜日の夜ごミサに与れたこと、私はご聖体をいただけたこと、灰の水曜日の灰をまた受けられたこと、これは息子も生まれて初めて受けました。ちょっと心引き締まる思いを抱いて…。

皆様のお祈りのおかげで今回は、息子に会うことができました。本当に心から感謝いたします。お祈りありがとうございました †

3/1のミサの中で洗礼志願式が行われて、一人一人神父さまから油の塗油を受けました。洗礼志願書に自分のサインをして、教会へ提出しました。これもみんな自分の意思であり、私が強制したことではありません。神様から聖霊に導かれて、神秘の業だと信じています。

考えてみたら、私自身が息子の年齢の時に、神様の存在を知らなかったし、信じる心さえもなかったと思っています。そういう意味では、息子は母よりすばらしい心を持っていると思っています。その清さ、聖心を大切に信仰を育てていってくれたらと切に祈るばかりです。

言いたいことは、有るようでシンプルです。キリスト教のすばらしいところは、いたってシンプル、子供でも病気の人でも味わえる、これ以上はないという人を救う出来事!!神様の愛を信じる宗教である。神様はあなたを愛している、受け入れたときに全てが変わる。

私たちは、キリストの花嫁である。その人に出会え、会う、愛されることが何よりの喜びである、一番辛く苦しいときに必ず何とかしてくれる。心の思いをすべてわかってくれる。この世に生れてきたことのすべて=洗礼式である。

そういう意味で洗礼志願式は、イエスさまとの婚約式である。結婚の喜び、キリストとひとつになり愛を知り祝福された美しいパートナーとの日々、喜び!!

神とひとつになっている。神からの呼びかけに”ハイ” と答えてキリスト者として生きる。ひとつの教会、一人のキリスト者となり共に生きていく。一生のうちで最も尊い期間です。この婚約期間は一度しかない時期です。神の国はもう始まっています。

神の愛の宣告、みんなの魂に届くように宣言した時がきた。もう、だいじょうぶ、安心しなさい†

晴佐久神父さまのお説教より

いつくしみ深い父よ、この洗礼志願式の秘跡に与った人たちが共に信仰を持って生きることができますように、あなたの息吹を送ってください。私たちの主イエス・キリストによって アーメン †

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2009年2月25日 (水)

行くから・・・

先ほど、息子から連絡があった。

”今度は、行くから・・・”と。

そう、今週末は高円寺教会で洗礼志願式がある。そのために、いろいろな用意をしてくれている教会のみなさまに感謝である。私たちは、何もお手伝いできないのでせめてお祈りだけでもしている。

ここのところ、私自身の体調が思わしくなくて、通院続きであっただけに、無事に行けるだろうか?その方が心配であった。もちろん、息子が来ることはもっと心配でもあったのですが・・・。

今日は、教会の暦でいう灰の水曜日である。カテドラル教会でごミサに与った。神父さま3名をいらして、聖霊の導きを強く感じた時間であった。

”回心して福音を信じなさい”

と言われて頭に灰をかけられ”アーメン”。確か、去年も灰の水曜日のごミサに与っているが心持ちが違うというのか、それだけ私の中で信仰が深まったのかもしれない。この式がとても尊く神様の愛の慈しみ深さを感じた。

40日間イエス様は、昼も夜も断食をし、空腹を覚えられた。

断食をすることは、四旬節には大切なことである。そして、私たちの罪をすべての罪を助けるものである。断食は、神様との友情を取り戻す方法でもあり、神のみ旨を行うことでもある。

私たちは、物質的な食物を断つ時、餓えを感じるが、体の餓えと心の餓えも同時に養われていき、神への乾き、餓えを感じて、癒される。

断食とは、神様の望みを行う、実践する苦行の一つであると同時に、霊的な戦いでもあり、自分の欲求を支配し、コントロールするためのものでもある。

施し、祈り、断食は大切である、灰はその気持ちの表れでもある。

この期間、聖書を読むこと、日曜日のミサを大切にすることが私たちに求められていることである。

今日のお説教より

父よ、祈り、節制、愛のわざをあなたにささげます。灰を頭に受けた私たちが、自分に頼るのではなく、いのちであるあなたに信頼して生きることができますように私たちの主イエス・キリストによって アーメン †

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2009年2月11日 (水)

両親からの手紙

「 ぼくは、家の跡を継がないから・・・ 」 そう言った。あなたが、神様の道を歩むと決めた決心を感じさせました。お父さんは、それでも良いと思ったし、息子の召命の道を応援しようと思った。幼いころから、教会のみんなに支えられて生きてきたあなたは、これから本当に神様に仕えるものとして生きていってください。 父より

カトリックの祭壇にあなたの写真を飾って毎日、お祈りをしていましたが叙階式が近付くにつれて涙が止まらなくなっています。 母より

こんなお手紙を神父さまが叙階されたヨセフ神父さまの両親からもらってきていた。周囲からは、すすり泣きが聞こえていた。母であるなら、親であるならこの気持ちは痛いほどよくわかる。本来ならまだ一緒にいられたかもしれない人生を神様の歩みに合わせて生きようとしている新司祭を祝福せずにはいられない。

ましてや、天の父なる神様は私たちが思うより以上のみ心で温かく見守ってくれてこの日を迎えさせてくださったに違いない。

父なる神よ、あなたは叙階の秘跡によって司祭への道を歩むこの人たちを祝福してあなたの恵みで満たしてください。聖霊の導きによってあなたと共に世世に生き支配しておられる私たちの主イエス・キリストによって アーメン †

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2009年1月24日 (土)

† 神の子とならせてください †

先日より心配していた息子からの連絡が今日、ようやく入った。無駄に心配していた自分がいったいなんだったのだろう・・・と思った。心の闇の中の世界へどんどん引きづられていた。

今日、すべては神様のみ心のままになった!

息子からの返事は、

力強く洗礼を受けたい。晴佐久神父さまより・・・

との答えであった。ちゃんと、福音宣言は息子の心に響いて伝わっていたのだと胸をなでおろした。

そして、夜のミサへ行ってきた。神様にお礼を言いたかったのと、お御堂でお祈りがしたかったから…私の通う教会には、入ってすぐにヨセフ様のご像とアシジの聖フランシスコ様のご像がある。その前で、丁寧にお辞儀をしてお礼を言った。

きっと、神様や聖人のみなさんも見守ってくれているのだと感じてならなかった。

私の信仰を受け継いでくれることは、何よりうれしいことである。が、現実的に考えても、困難はあって当たり前の環境である。

まず、息子の住む近くに信者さんがいないこと、そしてキリスト教はご法度の地域、私が洗礼を受けるときでさえも、電話してきてそれはやめておきなさいと亡き母に言われたくらいである。地域によってこんなにも差があることを痛感していたが、未だに実家へ行くときはカトリックは伏せておくように言われている。

でも、カトリックは決して強制はしないし自分の意思でしか、洗礼を授けない。だから、信じている人には、神の子とならせてください †

父と子と聖霊のみ名によって アーメン †

”わたしについてきなさい ”  マルコ1-17

♪ すべての人の救いを願い わたしはあなたを待ち望む ♪

”わたしは世の光である。 わたしに従うものはやみの中を歩むことなく

 いのちの光をもつ。”   ヨハネ8-12

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